幸せを提供できるのは福祉施設ではなく企業
創刊以来、Woman typeは「女性のキャリア」について考えてきました。女性が長く働ける基盤を作ろうと、社会全体が動いているものの、女性が仕事を頑張り続けるのは、まだまだ簡単なことではありません。
私が会長を務める日本理化学工業はチョークの製造メーカーで、全80名の社員のうち、7割を超える60名が知的障害者。しかも、そのうち半数近くが「重度」に該当します。
そう聞くと皆さん驚かれるのですが、知的障害者が主力でも、チョークの品質や生産性は業界トップクラス。数字が苦手な知的障害者でも正確に分量・サイズを測れる道具や、作業時間を短縮できるような段取りを工夫した結果、川崎の工場ではJIS規格をクリアした高品質のチョークを1日に10万本製造しています。
知的障害者の雇用を始めたのは、今から50年以上前のこと。当時会社の近くにあった養護学校の先生から「生徒の就職をお願いしたい」と頼まれたのがきっかけでした。今でこそ私は障害者雇用に積極的ですが、当時は世間の多くの人たちと同様、知的障害者に対して偏見を持っていましたから、就職はお断りしました。
でも、その先生はあきらめなかった。3度目に来られた時、「もう就職させてくれとは言いませんから、働く体験だけでもさせてくれませんか」と前置きしたうえで、こうおっしゃったのです。「もし就職しなければ、この子たちは卒業後、施設に入ることになります。そうなれば、一生“働く”ということを知らずに人生を終えることになるのです」と。
ここでようやく私にも、「確かにそれはかわいそうだな」という気持ちが芽生えました。そして、2週間の就業体験を受け入れたのです。とはいえ、私の心にあったのは知的障害者への理解ではなく、あくまで同情にすぎません。だから2週間後には「ご苦労様、さようなら」と言ってこの件は終わりにしようと考えていました。
ところが就業体験に来た2人の女性は、とても熱心に働いてくれました。製品が入った箱にシールを貼るという簡単な作業でしたが、本当に真剣に取り組んでくれたのです。それを見たほかの従業員が、「こんなに一生懸命やってくれるんですから、雇ってあげたらどうですか。私たちも面倒を見ますから」と私に言ったのです。それで「2人くらいなら何とかなるかな」と、翌年その女性たちを採用しました。それがわが社の障害者雇用のスタートです。
究極の幸せは「当たり前」の中にある
ただこの時点でも、私が知的障害者を雇ったのは決して前向きな理由からではなく、単なるなりゆきのようなものでした。その認識が大きく変わったのは、それから3年ほど経った時のこと。知人の法要に出席した際にその寺の住職と話をする機会があり、私はふと思いついてこんな質問をしてみたのです。
「うちの工場では知的障害者が一生懸命に仕事に取り組んでいます。施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きに来るのでしょうか」
すると住職はこう答えました。
「人間の究極の幸せは4つあります。1つ目は、人に愛されること。2つ目は、人に褒められること。3つ目は、人の役に立つこと。4つ目は、人に必要とされること。だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」
その瞬間、私は自分の考えが根本的に間違っていたことに気づきました。人は仕事をして褒められ、人の役に立ち、必要とされるから幸せを感じることができる。仲間に必要とされれば、周囲と愛し愛される関係も築くことができる。だから、彼女たちはあんなに必死になって働こうとするのだと。
私は日ごろから従業員たちに、「今日もよく頑張ったね、ありがとう」と声を掛けていましたが、私にとっては、単なるあいさつにすぎませんでした。でも、知的障害者の人たちは、心からうれしそうな顔をするのです。健常者がごく当たり前だと思っていたことの中に、人間の究極の幸せが存在する。そのことに私自身が気づかされました。
それ以降、私は知的障害者の雇用を本格化させました。経営者として「人に幸せを提供できるのは、福祉施設ではなく企業なのだ」という信念を持つようになったからです。今の日本理化学工業があるのは、知的障害者の従業員たちが導いてくれたおかげ。私や健常者の社員たちの方が、「働く幸せ」とは何かを知的障害者から教えてもらったのです。
働く喜びを知ることで、知的障害者たちが変わっていく姿もたくさん目の当たりにしてきました。
わが社では、「周囲に迷惑を掛けたら、就業時間中でも家に帰します」と約束しているのですが、ある男性はちょっと気に入らないことがあると暴れ出すため、就職から2年間で30回以上も家に帰されました。
親御さんには「本人の口から『もうしません』という言葉が出たら、翌日からまた会社に来ていいですよ」と伝えてあるので、しばらくすると彼も再び会社に来るのですが、結局はまた暴れてしまう。
それでも、最初は週に1度だったのが、やがて2週間に1度になり、1カ月に1度になって、間隔はどんどん伸びていく。私は彼が確実に成長していると感じました。そして今では、彼はまったく問題行動を起こさなくなり、それどころか後輩社員の面倒を見てあげるまでになったのです。
女性にとっては子育ても立派な“仕事”
彼が成長できたのは、やはり「働く幸せ」を求めていたからでしょう。家に独りぼっちでいると、「会社に行って役に立ちたい」「皆から褒められたい」といった欲求が涌き上がってくる。ある脳神経外科の教授は、その理由を「人間は“共感脳”を持っているからだ」と教えてくれました。
人間は一人では生きられない動物であり、群れの中で周囲に支えられて、初めて生きられる。そして支えてもらうためには、自分も周囲の役に立つことが必要になる。つまり人間は、「人の役に立つこと=自分の幸せ」と感じる脳を持っているのだというのです。この話を聞いて、私はあの住職の言葉はやはり正しかったのだと、改めて実感しました。
もし皆さんが、仕事をしていても幸せを感じられないのなら、自分が働くことでどのように人の役に立てているのか、今一度見直してみてください。時には会社や上司に不満を抱くこともあると思いますが、仕事を通して誰かの役に立つことそのものが、自分自身の幸せにつながっているはずです。
ただ、女性が社会に出て働くことについては、少し違った思いもあります。
今年83歳になる私が、あえて本音を申し上げるなら、女性にとっては「子育ての役割」や「家族の生活を支える役割」を果たすことも立派な“仕事”であり、人の役に立つことなのだと思うのです。特に子育ては、日本という国を支える大事な国民を育てる仕事ですから、社会全体のために役立つ仕事でもあるわけです。
もちろん会社で働くことは意義のあることですし、世の中もそれを求めています。経済的な事情から、共働きを余儀なくされている人が多いことも分かります。ですが、「仕事と家庭は両立しなければならない」という思いが、どうも先行しすぎているように思うのです。
だからこそ若い女性たちには、子育てが大事な仕事であることをしっかり認識したうえで、将来をじっくり考えてもらいたい。どんな結論が出るにせよ、「自分はどんな形で人の役に立ちたいのか」を考えることが、きっとその方の人生を幸せへと導いてくれるはずです。
大山 泰弘(おおやま やすひろ)/1932年生まれ、中央大学卒業。父親が戦前に設立した日本理化学工業に後継者として入社。74年、社長に就任。60年に初めて知的障害者を雇用して以来、一貫して障害者雇用を推進。2008年より現職。著書に『働く幸せ 仕事でいちばん大切なこと』(WAVE出版)など
2015年09月29日 東洋経済オンライン