差出人名のないお便りをご紹介することが、まれにあります。2月5日に載った〈算数の時間が苦痛でした〉の「みやこさん」(私がつけた仮名です)がそうでした。掲載後にもう一度いただいた手紙を拝読し、載せてよかったな、と感じました。前回の手紙には書いていなかったご事情がつづってありました。
〈名も名のらないような者の便りなのに、温かく取り扱っていただいて、「こんないい日もあるんだ」と幸せな気分にさせてもらいました。後悔の多い人生を歩んできたこんな身にも、うれしいことがあるのだと思いました。さらなる匿名での投稿をお許しいただけるならば、我が家の現状を聞いていただきたくお便りしてしまいました〉
――うかがいます。
〈例えば、家族に病人が出ると、同居の者がみるのが当たり前、とりわけ、病人がわが子の場合、親は体力の限界まで世話をする、私はそんなふうに思ってきました。でも、時々思います。限界って、どこまでだろう。私は5年ほど前よりパーキンソン病を患っています。それでも介護する側です。障がいのある子どもがいるからです〉
そうだったのですか。
〈私たちはこの先、どうなっていくのかわからない。少しずつ進行していく私の病気。昨今はパーキンソン病の人たちに希望をもたらすような研究の記事も目にするようになりました。それはうれしいことなのですが、私の家族が直面している問題は……。軽い方の病人が、より重篤な人をみるという家庭は、我が家だけではないと思います〉
障害がどのようなものか、公的サービスを利用しておいでかどうか、便りからはわからないことも多いですが、親御さん自身の、〈限界って、どこまで〉という葛藤は、消えることがないのでしょう。
〈苦境にあるとき、一番に求めるものは希望の光。日曜便のように、聞いてもらえて、同じ境遇の人に共感してもらえる場所があるのはありがたいことです。灯(とも)った火は、陽光のように、沈んだ心をフッと軽くしてくれました〉
過分なお言葉、誠にいたみ入ります。
4年前、ある演歌歌手の女性に、「森川さん、人生って修行でしょう?」と言われたことがあります。よくわからず、「そうでしょうか」と答えました。大した苦労もせずに来た私には、重い言葉がピンと来なかったのです。その後、日曜便を担当し、みなさんの喜怒哀楽、生老病死のお話に接するようになって、その言葉が思い出されます。
みやこさん、悩みを解決する力まではありませんが、よければまたお手紙ください。(ぼちぼちご連絡先を記していただけると、一層うれしく存じます)(森川暁子)
(2012年4月29日 読売新聞)
〈名も名のらないような者の便りなのに、温かく取り扱っていただいて、「こんないい日もあるんだ」と幸せな気分にさせてもらいました。後悔の多い人生を歩んできたこんな身にも、うれしいことがあるのだと思いました。さらなる匿名での投稿をお許しいただけるならば、我が家の現状を聞いていただきたくお便りしてしまいました〉
――うかがいます。
〈例えば、家族に病人が出ると、同居の者がみるのが当たり前、とりわけ、病人がわが子の場合、親は体力の限界まで世話をする、私はそんなふうに思ってきました。でも、時々思います。限界って、どこまでだろう。私は5年ほど前よりパーキンソン病を患っています。それでも介護する側です。障がいのある子どもがいるからです〉
そうだったのですか。
〈私たちはこの先、どうなっていくのかわからない。少しずつ進行していく私の病気。昨今はパーキンソン病の人たちに希望をもたらすような研究の記事も目にするようになりました。それはうれしいことなのですが、私の家族が直面している問題は……。軽い方の病人が、より重篤な人をみるという家庭は、我が家だけではないと思います〉
障害がどのようなものか、公的サービスを利用しておいでかどうか、便りからはわからないことも多いですが、親御さん自身の、〈限界って、どこまで〉という葛藤は、消えることがないのでしょう。
〈苦境にあるとき、一番に求めるものは希望の光。日曜便のように、聞いてもらえて、同じ境遇の人に共感してもらえる場所があるのはありがたいことです。灯(とも)った火は、陽光のように、沈んだ心をフッと軽くしてくれました〉
過分なお言葉、誠にいたみ入ります。
4年前、ある演歌歌手の女性に、「森川さん、人生って修行でしょう?」と言われたことがあります。よくわからず、「そうでしょうか」と答えました。大した苦労もせずに来た私には、重い言葉がピンと来なかったのです。その後、日曜便を担当し、みなさんの喜怒哀楽、生老病死のお話に接するようになって、その言葉が思い出されます。
みやこさん、悩みを解決する力まではありませんが、よければまたお手紙ください。(ぼちぼちご連絡先を記していただけると、一層うれしく存じます)(森川暁子)
(2012年4月29日 読売新聞)