「共生」は日常の中に
殺傷事件の起きた相模原市の障害者施設を巡っては、再生のあり方が議論されている。実習中に見学したグループホームのことも記したい。私が働いた桜の風を運営する社会福祉法人が管理する陽光ホーム(川崎市中原区)だ。
陽光ホームは16人の男女が暮らす。間取りはワンルーム。風呂、トイレは共用だ。生活は世話人がサポートし、日中に「職場」へ通うほかに生活に制約はない。見学した平日は全員が通所施設に出かけて不在だった。施設と違い、少人数の家庭的な雰囲気での共同生活を通し、地域で生活することを目指す。
私は「地域で生活する」の意味を「自由に生きる」ことだと解釈する。施設と地元との交流がいくらあっても、入所者が気軽に外出できず、3食のメニューも決まった施設での暮らしは、地域で生活することとは違うと思う。
入所者はグループホームに行きたいと意思を示せるのか。桜の風の鈴木翔貴(しょうき)さん(24)は「厳しい人もいる」。同感。だが「私たちは入所者の家族よりも、入所者本人の視点を大切にする」と言う。「家族の生活のため」の優先順位は低い。
実習中、社会で自立する訓練に励む入所者の姿を見た。中山満施設長(66)に「家族がグループホームへの移行をためらう理由の一つが、失敗して世間に迷惑をかけること」と聞いた。それは入所者本人の視点を尊重したものだろうか。
最年少だった19歳の男性から「地下鉄の運転士になりたい」と実習中に聞いた。電車に乗っての外出が好きだ。グループホームに出なければ、一生を失敗のない施設で、3食のメニューを選ぶことなく過ごすのだろう。
失敗はダメなのか--。駅で切符を買えずにいる外国人や高齢者に券売機の使い方を教えるのと同じように、日常の風景に困っている障害者がいてもよいはずだ。そこに、スッと手をさしのべられる人がいれば。
障害者の実像が分かったつもりではない。しかし、目に映るようにはなった。これからも距離を縮めたい。だから、もっと社会に出てきてほしい。「共生」はそれほど大げさなものでないとの考えに至ったところで、日誌を結ぶ。
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グループホームの一室。「障害者が暮らしている」と言われても、ごく普通のワンルームマンションと違いが分からない
毎日新聞 2017年2月27日