お互いの目となり耳となり、支えながら最高峰の大会を目指す夫婦がいる。ともに陸上競技で、リオデジャネイロ・パラリンピック日本代表を目指す全盲の高田千明(31)=ほけんの窓口グループ=と、聴覚障害者のオリンピック、デフリンピック日本代表の高田裕士(31)=エイベックス・チャレンジ・アスリート=夫婦。パートナー、親、そしてアスリート同士最高のライバルとして日々を過ごしている。
1+1イコール2ではない。3にも4にも、無限大に広がる力をこの2人は持っている。夫は妻の手を握り、目となって導き、妻は手話で夫に周囲の意思を伝える耳となる。「私が夫を支えている」と冗談っぽく笑う千明に「大切な家族だから」とフォローする裕士。「2人とも障害を障害だと思っていない。見えない、聞こえないのは個性。お互いができるところをできる人がやるのが普通。一緒なら不便はない」と千明は2人の関係を説明する。
そんな仲の良い夫婦も、陸上競技場に一歩足を踏み入れたとたんに関係は変わる。走り幅跳びでリオを目指す千明が「刺激し合えるライバル。どっちが先に金メダルを取るか、お互い負けたくないと思っている」と言えば、裕士も「競技者としては自分が先に結果を残したい。夫婦とは別にライバル」と言い切る。妻が念願のパラリンピック代表になるのが先か、夫が世界大会で悲願の金メダルを獲得するのが先か、どちらも一歩も引くつもりはない。
生まれつき弱視で18歳のころに両目が見えなくなった千明と、生まれつき耳が聞こえない裕士。出会いはともに東京都の代表選手団だった2006年の全国障害者スポーツ大会。「聴覚障害の方たちってどんな人なのか、手話を覚えて話したい」と思っていた千明が紹介されたのが、同い年の裕士だった。「全盲の人はこうなんだろうと勝手な思い込みがあったけど、できることは何でもやる、とにかく明るい人だった」と裕士は第一印象を振り返る。自然と距離が縮まり「パラリンピックとデフリンピックで違うけど、同じ目標を持っているところにひかれた」(裕士)と08年に結婚、その年の12月には長男の諭樹(さとき)君が誕生した。
北京パラリンピックを逃した直後の出産。そんな千明に再度世界を目指すよう背中を押したのはほかならぬ裕士だった。「後悔だけはしないでほしい。スポーツができる年齢は限られている。やり切ったと思えるところまでやり切って」と復帰を強く勧めた。その言葉を行動で証明するべく、現在は諭樹君の世話は1週間で半分ずつ交互に分担。一方が練習に行くときはもう一方が育児と互いが競技に専念できるように助け合っている。
夫婦として、親として、アスリートとして目指すのは最高峰の舞台、そして金メダルだ。世界大会に出場し、メダルも獲得した2人だがまだ世界の金メダルがない。裕士は「銀メダルを持って帰ると諭樹に『金じゃなかったの』と寂しそうな顔をされる。世界一のパパ、ママでいたい。パパとママが夢に向かってトレーニングしている姿を見て、全力でチャレンジする姿勢を感じてほしい」と息子を思いやり、千明も「決めたことを一生懸命頑張った結果を学んでほしい。子どもの目標になれる親でいたい」と言う。先に取りたいとお互いを高め合いながら、息子の首に金メダルをかけることを夢見ている。
パラリンピックの翌年に行われるのがデフリンピック。まずは千明が7月上旬の代表発表を待つ。6月末に国際パラリンピック委員会(IPC)陸上競技部門から日本パラ陸連に国別の割り当て人数が伝えられるが、千明は現状日本で11番目。「北京、ロンドンと逃し手の届くところまで来た。胃が口から出てバクバクしそう」と気をもむ妻を、夫は「何とかパラの舞台を経験して、2020年東京につながる何かをつかんでほしい」と優しく思いやる。リオ、17年のデフリンピック(トルコ・アンカラ)、そして東京へ。一家はこれまでもこれからも競い合い、支え合い歩み続ける。
笑顔でカメラに収まる高田裕士(左)、千明(右)夫妻と息子の諭樹君(中)(高田夫妻提供)
2016年6月29日 中日スポーツ