1965年の今日。
僕は生まれました。
生まれて初めて
ホームでの
オリンピックを
体験できることに
興奮できるはずの
2020年。
SF小説顔負けの
未曾有のウィルス騒動に
翻弄されながらも、
お誕生日は
訪れたのです。
たぶんですが、
来年の誕生日も、
人類 vs ウィルスの
戦いは続いていて、
1年前の今日を
思いだしたり
しているのだと
想像しています。
籠城して戦う理由は、
味方の損失を
抑えるためです。
籠城戦での勝利条件には
二つのセオリーが
古から存在します。
一つは、援軍が
約束されていること。
もう一つは、
攻め手に戦える期限が
あることです。
ウィルスを駆逐する
特効薬的なものが
完成するという
援軍を
待っているのと、
城の防御に疲弊して
敵が包囲を解くことを
待っているのが、
現状なのだと
思われます。
期待していた
援軍が到着せず、
敵が無期限に
攻められるという
勝利条件が
消えた場合の
籠城戦は地獄です。
戦いで死なずとも、
城内で、
死んでしまいます。
この戦いは、
臨機応変に
作戦の変更が
必要になるような
気がするのです。
戦い方を変えない、と
負けてしまうという
予感というより、
絶望的な不安です。
例えば、春が過ぎ、
夏が過ぎ、
秋のハイシーズンに
なっても、
自粛という籠城戦が
続いていたとします。
多くの人にとって
ゴルフは
不要不急です。
ハイシーズンを
2回も我慢できたら、
ゴルフなんてなくとも
どうにかなると
考えてしまうのが
人なのでは、
と思うのです。
多くの統計で、
1年に1回以上
ゴルフコースで
プレーしていれば、
ゴルフをしている人、
とカウントされます。
そういう意味では、
来年の今頃、
ゴルファーは
ほぼ全滅します。
ゴルファーが
いなくれば、
コースも消えます。
ゴルフのない国、
または、惑星で、
生きていることに
意味は
あるのでしょうか?
生まれた瞬間から
ゴルフがあった幸運。
ゴルフを
することになって、
今までも
消えるどころか、
確実に充実した環境が
続いている幸運。
当たり前ではない、と
思い知っているのも
まさに、今現在です。
不安が不安を呼ぶ
誕生日です。
諸外国が行っている
籠城戦は、
この国の籠城戦とは
レベルが違います。
それでも、
勝利条件を満たすのは
難しいのではないか、
という結果が
出つつあります。
色を失った世界に、
山桜の花吹雪が舞い、
でも、そこに
ゴルフがあれば、
僕の世界は
彩りが蘇ります。
見上げれば
満開の山桜で
それが見えない……
自然の前で
人が無力なことは、
ゴルフに徹底的に
教わってきました。
無力だからこそ、
逆らうのではなく、
創意工夫と我慢で
最低限の成果を
出し続けることが
ゴルファーの
勝利条件なのです。
妄想ゴルフには
限界があります。
ゴルフで得たものは
ゴルフに返せ!
金言が染みる
バースデーです。