きょうの朝日新聞『(耕論)スピリチュアルの今』を読んで、私は「スピリチュアル」の意味をすっかり誤解していたことに気づいた。
高校のとき、英語の教科書に“in high spirit”という語句が出てきて、どんな意味か思い悩んで、前後の意味から、「意気高揚して」と理解した。その経験から“spiritual”を「気分を高揚させる」という意味と思い込んでいた。
今回、英英辞典を改めて引いたが、「スピリチュアル」を「超自然的な(supernatual)」や「霊的な(of soul)」としている。
インタビュー記事によると、有元裕美子は「スピリチュアル」を「目に見えず、測定も可視化もできないエネルギーや、それが引き起こす現象の総称」と定義している。その存在を信じるか否かはわかれるが、「占い」や「ヒーリング」や「パワースポット」などがスピリチュアルなものの例であるそうだ。
もちろん、そのような「スピリチュアルなもの」の存在を私は信じない。
辛酸なめ子も占いや心霊写真などを思い浮かべており、良いスピリチュアル、悪いスピリチュアルがあるかのようにいう。彼女は悪いスピリチュアルは不安や恐怖をあおるものと言う。「スピリチュアルと、カルチャー要素の強いオカルトと、陰謀論と、それぞれ異なりますが、シームレスな関係です。スピリチュアルにまったく免疫がない友人が、陰謀論にはまることがすごく多いです」だと言う。
小池靖は、スピリチュアルを、上の両者と同様な意味に理解しており、現在、日本社会ではスピリチュアルなものや宗教的なものの存在感が弱まっているが、今後、大きな事件や深刻な不景気、巨大災害が起きたとき、人々の不安がスピリチュアルな言説や陰謀論の広がりに結びつく可能性があると警告している。
3人とも、スピリチュアルを信じるのは人びとの心に不安があるから、と考える。スピリチュアルなものは不安を癒す虚構なのだ。スピリチュアルの商売が繁盛するということは、単に、合理的な思考ができる人が少ない、というだけではなく、人と人とを結びつける「心の優しさ」が社会から失われたということを意味する
スピリチャルなもの、宗教的なものが社会から廃れること自体は、悪いことでないが、人々が不安から陰謀論に飛びつくことは避けないいけない。
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