けさの朝日新聞に『作文コンクール 生成AIは禁止』という記事がのった。
私も禁止するのが当たり前だと思う。自分の力で書くことは考えることに深みを与える。考えることが単なる試行錯誤にとどまらず、自分の考えに整合性がとれているのか、体系化できないか、普遍化できないか、という論理的思考へと、書くことによって導かれる。
ただ、生成AIをみんな過大評価しているのではないか、と思う。生成AIの原理は、文を文法にしたがって生成するのではなく、大量の蓄積した文章のデータを学習し、統計的にもっとも確率の高い順に言葉をつなげるだけである。そこには知性がない。
この朝日新聞の記事によれば〈(全国学校図書館)協議会の設楽敬一理事長は応募要領の文面を検討する過程で、チャットGPTで感想文を3回作成してみたが、「いずれも平坦な文章で、賞を取れるような内容ではなかった」〉という。それはそうだろう。
私も同じ経験をしている。その話をしよう。
N高(角川の経営する通信制高校)に通う男の子の数学学習を私はNPOで支援している。彼は、数学が好きでもないのに、オンライン授業を真面目に聞いて、適宜、教科書を参照しながら練習問題を解いて、答えをネットで提出する。彼が最後に苦しむのは、学習の単元ごとに、学習で何に興味をもったか、何が面白かったか、の360字以上のレポートの提出である。
レポートを作成する本人はもともと数学が嫌いの上、オンラインの講義ははっきりと言ってつまらない。講師だって、撮影者以外の誰も見ていない中で講義するのだから盛り上がらない。淡々と教材を進むしかない。
それで、私は彼に、レポート作成にチャットGPIを使うよう提案した。彼は、何度も何度も入力文を変えながら、使える応答文を模索した。結局、「使えねーな」ということになった。私ものぞいてみていたが、チャットGPIの答えは、あまりにも陳腐で、数学を理解していず、整合性もない。
朝日新聞の記事で、博報道教育財団も神戸親和大も作文コンクールに使用を確実に見抜く方策は用意できていないと言うが、生成AIを使ったかどうかでなく、個性や独創性のない陳腐な作文に賞を与えなければ良いだけである。生成AI は平均的にもっともありそうな文を生成するだけで、生きている子どものもつ悩み、不安、焦り、怒り、希望、喜び、情熱などを反映できない。平均には個性がないのだ。
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