私が高校生のとき、パリサイ人をののしる福音書が気持ち良かった。
《偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。》『マタイ福音書』23章27節 口語訳
1987年、新共同訳では、「パリサイ人」は「ファリサイ派」になった。しかし、「ファリサイ派」をののしっていることに何も変わりがない。
私は老いて、福音書が「ファリサイ派」をののしるのが不愉快になった。『マルコ福音書』『マタイ福音書』『ルカ福音書』『ヨハネ福音書』のどれもが、「ファリサイ派」をののしっている。
しかし、私はもっと老いて、福音書がなぜ「ファリサイ派」をののしるかわかり、許せるようになった。
「ファリサイ派」をののしるのは、新約聖書のなかで、この4つの福音書に限られる。もちろん、福音書に先立つパウロの書簡群にも、「ファリサイ派」への ののしりはない。
そればかりか、パウロの『フィリピの信徒への手紙』3章5節と6節に次のようにある。
《わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、
熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。》新共同訳
すなわち、使徒パウロはファリサイ派の一員である。
初期キリスト教徒の福音書の書き手が、パウロを嫌っていたからではなく、紀元66年から70年のユダヤ戦争(ローマ帝国へのユダヤ人の反乱)でユダヤ人が負けた結果、コスモポリタンの初期キリスト教徒がユダヤ社会に居づらくなったからだ、と私は思う。
イエスは貧民反乱のリーダである。教養あふれた「教え」をする人ではない。倫理規範を話させたら、教養人ファリサイ派に勝てない。
イエスがどんな人であるか、何を述べたかは、今となっては わからない。カウツキーもハルナックもシュヴァイツアもアーマンもボーグもそう述べている。生前のイエスについて書いているのは4福音書しかなく、『マルコ福音書』『ルカ福音書』『マタイ福音書』は、イエスが死んでから約50年後に、『ヨハネ福音書』は約100年後に書かれたものだから、本当のイエスのことではなく、伝説かも知れないし、自分たちの教会の教えを述べているだけかもしれない。
福音書の伝説のなかでは、イエスは貧民に「神の国は近い」と言い、病人を癒し、おなかがすいたら、誰かをたより、みんなで飲み食いし、それができなければ、畑の麦の穂をもんで食べ、ガリラヤからエルサレムまで集団でさまよい、エルサレムでローマ人に反逆者として殺された。
その約40年後のユダヤ戦争に参加し負けた教養人から見れば、キリスト教徒は、カウツキーの言うように、ただのルンペン・プロレタリアートであり、掟を守らず、人にたかる消費共産主義者である。キリスト教徒は教養がないと ののしられたであろう。倫理規範ないと指摘するファリサイ派に、理屈では勝てないから、悔しくて悔しくて、ののしり返しているのが、福音書である、と思うようになった。
こうして、ののしりを許せるようになったが、この「ののしり」が正しい記述とは思っていない。
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