きょうは東日本大震災の9年目である。9年前の3月12日に福島第1原発の1号基で水素爆発が起きて、原子炉建屋とタービン建屋がふっとんだ。原子炉建屋の枠組みだけが残っている状態を各テレビ局が放映した。14日には3号基の原子炉建屋で、15日には2号基の圧力抑制室で、4号基の原子炉建屋で、水素爆発を起こした。それでも、理由もなく、私は、大丈夫だと息子に言った。
そして、そのとき、原子炉のメルトダウンが起きていたとは、私は知らなかった。公表されなかったからだ。
メルトダウンとは、核燃料であるウランが熔けて原子炉から流れ出し、デブリという重金属のかたまりになることだ。当然、ウランが臨界半径より密に集まるから、連鎖核分裂反応がブスブスと起きている可能性がある。
それから9年後、原子炉の下のデブリから放射能汚染水がいまだに流れ出している。
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経済産業省の小委員会が、昨年の12月23日、福島第1原発敷地内のタンク群にためられている放射性汚染水の処分方法を、海洋放出と大気放出の二つに絞ったという。朝日新聞によれば、
〈 処分方法について政府に提言する経済産業省の小委員会が23日、とりまとめ案を議論し、大きな異論は出なかった。3年にわたり風評被害の影響を検討してきたが、根拠にしたのは結局「前例」だった。〉
問題は「風評」被害なのか。
放射性物質は人間の力で消滅させることができない。長い年月をかけて、自然に崩壊するのを待つしかない。したがって、汚染水の処分方法とは、危険な放射性物質をどこに置くかである。
そして、経済産業省の提案は、福島第1原発敷地内は汚染水タンクでいっぱいだから、薄めて海に捨てるか、大気に放出するか、どちらにしろ、あとは潮まかせ、風まかせということである。薄めないといけないというのは、もともと、タンク内に閉じ込めていた汚染水は、危険な物質だからである。
経済産業省や東電のサイトを見ても、長々と専門用語や法律用語が並んでいて、読み手の頭を混乱させるだけで、危険な物質をどこに置くかの問いにたいして、人類共有財産の海や大気に捨てれば良いという、トンデモない結論を権威づけている。3年間議論して、結局、企業にとって安ければよい、ということになっている。汚染物質を公共の海や空に捨ててはいけない、というのは、公害問題の基本的教訓であるのに。
思い返してみれば、昨年の6月28日の朝日新聞紙への寄稿『原発と人間の限界』で、作家、高村薫が、安全性も確立されていないのに、なし崩し的に政府が原発再稼働を推し進めている、と怒っていた。
環境省大臣に就任した小泉進次郎の発言「福島第1原発の処理済みの汚染水対策は環境省の所管でない」にたいして、9月17日、日本維新の会の松井一郎代表は「将来、総理を期待されている人が『所管外だ』とか、そういうことで難しい問題から批判をそらすようなのは非常に残念だ。真正面から受け止めてもらいたい」と述べた。
原発再稼働を推進する経済産業が、原発の放射線物質の「あとは潮まかせ、風まかせ」を主張することに、環境省がほっておくのが理解できない。経済産業省と東電がしようとしているのは地球の環境を大きく壊すことではないか。
私は地層処分が妥当と思う。コストがかかっても、東電が原発を稼働して失敗したのだから、東電の自己責任である。
牧田寛は、昨年の9月8日にネット上で、海洋放出、大気放出の危険性をのべ、恒久的大タンクを主張している。
じつは、私は、いまだにトリチウムが汚染水に含まれることに、デブリが核分裂連鎖反応をつづけているのではと思っている。
通常の放射性物質は、核分裂の結果生じた核のゴミである。ウラニウムが核分裂を起こして、燃えたウラニウムが放射性物質に転化するのである。原子炉が停止した後、放射性物質は増加せず、時間とともに減少する。
ところが、トリチウムは水分子の水素原子が中性子を吸ってできるのである。いまだに、デブリが中性子を発生している疑いが高いのである。中性子はウラニウムが核分裂するときに発生する。核燃料のウラニウムは、メルトダウンによって、デブリという塊になったのだから、臨界を越えて、核分裂連鎖反応が起きても何もおかしくない。
核爆弾と違って、固い容器に閉じ込められているわけでないから、74年前の広島や長崎のような、核爆発を起こすことはない。しかし、デブリは今後もトリチウムを生産するし、他の放射性物質を生産しつづける。
安倍晋三は、放射能汚染水がコントロールできていると言ってオリンピックをひっぱってきたが、全国の原発を再稼働するためにオリンピックを利用しただけで、放射能汚染水のコントロールは失敗である。
昨年の9月19日に東京地裁は東京電力旧経営陣に無罪の判決を下した。津波対策の必要性が社内から報告されていたにもかかわらず、経済性から旧経営陣はその報告を無視した。あまりにも無責任ではないか。司法は経済産業省のご機嫌をうかがうのか。
さらに、10月18日の朝日新聞インタビューで、元政府事故調委員長の畑村洋太郎(東京大学名誉教授)は、事故調は失敗で、福島第1原発の事故原因がわかっていない、といった。すなわち、福島第1原発の事故は、8年前の3月11日に全電源を失った時点でも まだ うつ手があった という。それが、なぜ実行されなかったのか、どうすればよいのか、検証されていないという。
畑村は、あの事故では、放射性ガスのある程度の放出はしかたがなく、メルトダウンを避ける方を優先すべきだ、と考えている。じっさい、メルトダウンの前に、すでに、原子炉のふたや管の部分から放射性ガスが吹き出ていたことがわかっている。
私は私で、非常用の冠水設備で原子炉を急冷しても大丈夫なのか、疑っている。日本の原子炉は初期の耐用年数20年を超えて運用されている。原子炉の鋼鉄は中性子を反射するためだが、中性子を浴びていれば、強度は当然落ちる。それを急冷すれば、ひびが入るのではないかということである。
ところが、この問題が検証されないで、初期の耐用年数を超えた原子炉の稼働が、原子力規制委員会で認可されている。
日本は原発の必要がないにも関わらず、地元の利権と関係していることが、今年の10月判明した。関西電力の経営陣が、福井県の高浜町の助役と癒着して、原発推進していたのである。
とにかく、日本政府の原発推進政策はひどい。合理的判断や倫理的判断がない。国会議員やジャーナリストには、腰を据えて、政府の原発政策を追及して欲しい。
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