猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナ流行下に自立した愛すべき女の子

2021-01-13 23:22:16 | 愛すべき子どもたち


昨年からの新型コロナの感染拡大の中で、うれしい話がある。NPOで私が中学2年の終わりから担当した子がグループホームにはいって一人暮らしを始めたのである。去年、成人式を迎えたばかりで、早いと言えば早いのだが、自分の意志で一人暮らしを始めた。

その子を担当したいと思うようになったのは、その子が中学で書いた1つの作文を見てである。つぎの書き出しで始まる『半熟ゆでたまご』というタイトルの作文であった。

〈私達は、人とつるむ事が好きです。一人でいることがとても寂しく感じます。友達の中にいると安心するので、自分のポジションが一番下で、いじめにあったとしても、そのグループの中からは抜けられないのです。〉

そのあと、昔からあった「ジャイアン・スネ夫・のび太の関係のような」単純な暴力から、「携帯やパソコンを使うようになったため」の言葉による暴力までを説明する。とても、論理的である。

〈ネット上では「死ね」「キモイ」「消えろ」などの書き込みが目立ちます。相手の顔が見えないから、そういう言葉を書き込んでしまえるのです。普通、友達を目の前にして「死ね」と言えるでしょうか? 匿名だからとか、顔が見えないコミュニケーションだからといって、何でもして良いわけではないのです。〉

〈この文を読んでいる人の中にも「一人ぼっちは絶対に嫌。友達と一緒にいる方が楽しい」と考え、グループの中で過ごしている人がいると思います。でも、それは狭い世界です。その友達だけがすべてではないし、教室だけがすべてでもありません。学校の中にも色々な居場所があります。学校の外にはさらに広い世界があります。〉

〈もし「このグループは違和感がある」と感じたら、それはチャンスだと思います。周りに目を向けてみて下さい。一人ぼっちの友達や、グループ内でいじめられている友達が周りにいる事に気づくかも知れません。そんな子に会ったら、まず「おはよう」と声を掛けてみて下さい。小さい一歩ですが、きっとあなたの人生は、大きく変わるはずです。〉

〈また、いじめが深刻化したせいで、最近いじめを取り締まる法律もできましたが、いくら法律を定めても『陰でやる人達』は必ず出てきます。そんな人を見つけたら、「それ、少しおかしくない?」と声を上げてみて下さい。勇気がいることですが、その一言であなただけでなく、あなたの周りの人の未来が変わっていくと思います。すべては『あなたの一歩』にかかっているのです。〉

〈私たちは 堅い殻に包まれた か弱い半熟のゆで卵です。優しくむかないと くずれてしまいます。だからといって、ずっと殻の中にこもっているのはどうでしょうか? 少しずつ、少しずつで良いので殻をむいていきましょう。 『本当の自分』を出して『新しい一歩』を踏み出すことが出来れば、世界が変わって見えるはずです。〉

私は、いまでもこの作文を読んで、13か14歳の女の子がこれほど知的にものごとを考えられるのか、驚く。

この子は、幻聴が聞こえるということで、精神科医療の対象になり、普通級から支援級に移され、それから、高校は特別支援学校に進んだ。

不思議なことに、特別支援学校では高校卒業の資格が得られない。特別支援学校は職業訓練校で、文部科学省が定めた高等教育が受けられず、大学への道が閉ざされる。特別支援学校には障害者手帳をとらないと入学できない。

その子は美大に行きたかったようだ。

特別支援学校で、その子は笑わない子になった。一度、指導中に、「泣いてもよいですか」と言われて、びっくりした。聞けば、翌日、バス清掃のリーダーを務めなければならないからであった。

特別支援学校では障害児として就職するための訓練を毎日しているのである。

当時、NPOで私は何を教えてよいかわからず、小説を書かしてみた。日本の普通の小説家のようには、情景を描けない。しかし、登場人物間の会話が生き生きしている。争いがあるが、いじめがない、人間の群像が描けていた。

論理的であるだけでなく、鋭い感受性を秘めている子だった。

母親はその子を育てるのに非常に熱心であった。しかし、私が次第に気づいたのだが、母親は周りの助言者に振り回され、自分の目でその子をみることができない。母と子の衝突が始まった。私から見れば、たいした衝突でないが、母子ともに大騒ぎする。

その子は家を飛び出して突然夜にNPOの教室にやってくるのである。雨の夜のこともあった。いまから考えれば、その子が来るところがあって良かった。

その子は、特別支援学校を卒業して、特例子会社に務めた。仕事は、毎日毎日、洗濯した事務服をたたむのだが、不器用で速くたためず、叱られていたようだ。反抗的だと思われて配置転換になって、また、うつ症状を発した。それでも、半年でおちつき、安心していたら、新型コロナ下の去年の夏、また、特例子会社に行けなくなった。3か月の病気休暇を取って、毎日、NPOに話をしに来るようになった。

私の所にも毎週一回来た。私は何をして良いかわからず、エッセイを毎回書いてもらった。だんだん、ポジティブなことを書くようになった。彼女の思いは、障害者としてのレッテルを通してでなく、一人の人間として、自分を見てほしいということだった。そして、絵や文がうまくなりたいとのことだった。

やりたい何かがあることは素晴らしい。
私は、きっと彼女の願いがかなえられると信じている。

去年の12月に、彼女は家を出て、グループホームにはいった。これからは母子が衝突することもない。彼女は化粧もせずカジュアルな服を着こなす素敵な女性になっていた。特例子会社の務めに復帰したので、もう会うこともないと思うと、寂しい気持ちもする。

[補遺]
彼女は社会福祉法人すてっぷと特別支援学校の尽力でグループホームの入ることができた。感謝します。

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