渡辺弥生の『感情の正体 発達心理学で気持ちをマネジメントする』(ちくま新書)を読んでいたら、「子どもは、悲しみの表情を怒りの表情ととらえてしまうようなのです」という文に出くわした。これは、感情とは何かを表情から探ろう、という文脈での、一節である。
怒りと悲しみとが結びついているのだ。似たような文を見たことを思い出した。DMS-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)の一節である。
重篤気分調症につぎのようにある。
「激しい激怒性は2つの特徴的な臨床症状として現れる。1つ目は頻回のかんしゃく発作である。このような発作は典型的には欲求不満に反応して起こり、言語または行動(後者は、器物、自己、または他人への攻撃)の形をとる。」
「慢性的な易怒性を示す子どもは成人期に単極性抑うつ障害および/または不安症群を発症する危険性が高い。」
ここで「かんしゃく」は「癇癪」とも書く。
先日、NPOのほうから、私が以前に担当した女の子(23歳)がグループホームで癇癪発作を起した、すぐ来てください、というメールを受け取った。癇癪発作はSNSでのトラブルが原因で、SNSをやめるようにアドバイスしているとあった。
あくびてんかん発作を持病とする子だったので、急いで出かけ、その子に会った。話を聞くと、SNSの件は心のなかで決着している、Googleアカウントは複数もっている、イラストをネットにあげたいので、アカウントを閉じたくない、と言う。癇癪発作というが、グループホームから弁償を請求されないよう、すなわち、部屋を壊さないよう、一人で暴れているのだと彼女は言う。
SNSの件が決着しているのに、どうして、イライラするのか、よくよく聞いていくと、経済的不安に追い詰められていると言う。その子は、いろいろな人からカウンセリングを受けていたが、支援者のこれまでのメールのどこにも、それがなかった。発達障害という「色メガネ」から、SNSが悪者になっていただけだ。
人が欲求不満になるのは、味方してくれる人がいないのもあるが、自分の困りごとが何であるのかわからなかったり、あるいは、それを伝える言語的能力なかったりすることが多い。癇癪発作が起きたから薬を飲ますというだけでは、解決にならない。
彼女は精神障害の手帳をもっており、公的サービスを受けているから、形の上では支援者は多い。しかし、不安になると働けなくなる。働かなければ、おしゃれもできないし、趣味のものも買えない。障害者年金だけでは十分でない。さらに不安になる。悪循環に陥って、癇癪を起さずにいられなくなる。
背景に、彼女の母親が厳しい人で、子どものときから自立を要求することにある。「働くのが嫌なら、生活レベルを落として、生活保護を受けなさい」「高価な冬用帽子を買うことはない」「自分で組み立てられない椅子を買うなんて」と母親に言われたと話す。
「いろいろ言われると、また、失敗してしまうのでは、と思ってしまう。自分の思っていることが言えない」と彼女は話す。
母親の言うことは正論であるが、彼女は甘えたいのである。子ども時代に甘えたりなかったということが、現在の経済的状況を過剰に不安なものに受け取るのである。
怒りは悲しみに転換する。うつ病を発症するかもしれない。怒りの段階で、経済的不安と働けないの悪循環を止めないといけない。
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