きのうの朝日新聞にポール・クルーグマンのコラム『プーチン氏の二重の誤算』(Wonking Out: Putin’s Other Big Miscalculation)があった。これは3月4日のニューヨークタイムズOpinionへの寄稿の翻訳である。原文を読みたかったが、有料購読者でないと読めないようになっていたので、読んでいない。以前は無料で読めたのに。
読みたかったのは、じつは、クルーグマンの書き出しの文が気になったからである。
《ウクライナが驚くほど効果的な戦いを繰り広げてきたにもかかわらず、大半の軍事専門家は火力で圧倒するロシア軍の優位性が最後に勝ると考えているようだ。専門知識のない私に異論をはさむ余地はない。》
どういう気持ちでこの文章を書いたかは原文を読まないかぎりわからない。言語は、話者の考える事実を伝えているようで、実際には話者の気持ちを同時に伝えている。
とにかく、わかることは、しばらくウクライナ人が善戦がしているが、兵器に勝るロシア軍が勝つとアメリカの軍事専門家が思っているようだ。
ウクライナ政府は18歳以上60歳以下の男性はウクライナに残って闘うように要請している。報道によれば、プーチンは、ロシアの属国の若者を最前線に送り込んで、国内の反戦機運の盛り上がりを防いでいるようだ。
ロシアは攻撃側だから、ウクライナの都市へミサイルを撃ち込めば確実にウクライナ人を殺せる。20世紀からの戦闘では民間人と軍人と区別がなくなっている。ウクライナは攻撃される側だから、残っているウクライナ人はすべて殺戮の対象となる。
一方、ロシアはウクラナイ軍の攻撃の対象ではないから、ロシア人の多くはこの戦闘をゲームかのように見ている。
クルーグマンは経済封鎖が効くとみているようだが、アメリカの18歳以上の60歳以上の男が戦闘への参加を強要されいないから、呑気なことをいえるのではないか、と思う。
「ウクライナが驚くほど効果的な戦い」のなかに、ゼレンスキー大統領の手腕が含まれる。ウクライナもロシアも多民族国家である。ゼレンスキーはウクライナ国民をうまくまとめ上げ、ロシアの武力侵攻に抵抗させ、いっぽうでロシアとの停戦協議を継続させ、しかも、世界各国に即時停戦への支援を呼びかけている。賞賛したい。
考えてみよう。19世紀に代議制民主政が普及したのは20世紀の国民総力戦を予期してのことだったと思う。
ところが、21世紀の戦争は、死を予期しながら闘っている人びとと、それを見ながら自分は死ぬことはないと思っている人びととに、分断している。これは今だけの現象なのか。人の世が不平等を許さないとすれば、分断はいずれ崩れて、死を予期しながらの戦闘に誰もが巻き込まれていくのだと思う。
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