被告の元農林省事務次官が実刑判決だったということは、正当な理由がないのに長男を殺害したと裁判員裁判で判断された、ということである。しかも、被告はまだ上告していない。すなわち、地裁の判決は不当だと意思表示もしていない。したがって、地裁が、保釈請求を棄却したのは、合理的判断といえよう。それなのに、高裁が地裁の判断をくつがえし、保釈を認めたことは、被告の一族かオトモダチが高裁に圧力をかけたとしか、思えない。
引きこもりを抱える私たち老夫婦としては、このような司法の態度が、面倒くさい子どもは親が殺しても構わないという風潮を日本に広めるのでは、と恐れる。
また、全国の引きこもりが、このような司法の態度やそれを容認するメディアに動揺して、うつなどの症状を悪化させないかを、心配する。
何か、長男は法律を犯す行為をしたのか。もし、したとしても、どのような刑罰を下すかは、裁判の場で決めるべきことである。人を殺していけないという市民社会のもっとも基本的な法を犯したのは、元農林省事務次官である。
だいたい、長男は大学入学時から一人暮らしをしていた。その彼がゴミをきちんと出さないからといって、近所迷惑と親元に戻されて、1週間で殺されなければならないとは、理不尽である。
引きこもり親の会に属している私たちからみれば、元事務次官の長男は、少しも大変な引きこもりに見えない。
この元事務次官は、大学の入学からずっと長男を指図し、卒業して就職がないと妻のコネで病院職員として押し込み、アニメの専門学校に入学させ、コミケに出品させている。これは、長男を一人の人間として見ていたならば、してはいけないことである。元事務次官は、長男をふり回していただけである。
親元に帰ってきて、リビングで、「今までの44年の人生はなんだったのか」「父さんは東大を出てていいね」と泣き伏す長男をわざわざ殺すということは、以前から長男を憎んでいたのであって、とっさの殺人ではない。台所まで包丁を取りに行って、殺したのである。
事前に、妻に殺害をほのめかす手紙を渡したり、殺害の刑期や情緒酌量についてネット上で検索したりしたことは、一定の殺意と計画性があったと考えられる。
そして、引きこもりの専門家の小島貴子がいうように、元事務次官は少しも自分の長男に寄り添っていない。世間体から息子を冷たく断罪しているだけである。長男の劣等感を補強しているだけである。
世間体を優先するのも1つの哲学だろう。子どもを突き放すのも1つの哲学だろう。長男より、愚母である妻を優先するのも1つの哲学だろう。しかし、だからといって、子どもを殺すことは一線をこえている。だから、地裁は、懲役6年の実刑を課したのだ。
高裁が、上告もしていない実刑の被告を保釈するとは、司法の信頼性を大きく壊すものである。
[追記]
元農林水産事務次官の弁護人は1審東京地裁の裁判員裁判判決、懲役6年の実刑を不服として、12月25日、控訴した。
いっぽう、東京高裁(青柳勤裁判長)が保釈を認める決定をしたのは12月20日であり、控訴の5日前に はやばやと保釈決定したのは異例である。
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