きのうから、図書館から鶴見太郎の『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』(講談社選書メチエ)を借りて読む。この本は2020年11月10日に発行の書で、今回のハマスのイスラエル攻撃に対する徹底した報復の、約3年前に出版されたものである。
私には、イスラエル国がなぜパレスチナ人を軍事力で追い払って建設されたのかが、長らく謎であった。
第1次世界大戦以前は、パレスチナの地はトルコ帝国の一部であって、イスラム教徒(ムスリム)、キリスト教徒、ユダヤ教徒が争わずに住んでいた。第1次世界大戦後、敗戦国のトルコ帝国は解体され、パレスチナはイギリスの統治下にはいった。第2次世界大戦後の植民地解放の流れのなかで、当然、パレスチナの地のイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が共同で戦線を組んで、パレスチナ独立国を作ることができたはずである。それなのに、1948年に、ユダヤ人が、なぜ、パレスチナの地にユダヤ人の国家を武力で建設し、パレスチナ難民や周りの国々と戦い続けたのか、と疑問である私は疑問に思っていた。
鶴見も、また、「ホロコーストを体験したユダヤ人がなぜイスラム教徒を武力攻撃するのか」という疑問に答えるために、本書を書き上げたと述べている。
彼によれば、まず、抑えておくポイントの1つは、ユダヤ人とユダヤ教徒とは異なるということである。
ユダヤ教徒とは、シナゴーグで日に3回祈りを捧げ、タルムードの規定する生活様式を守る人々である。ユダヤ人とは、自らをユダヤ人と考えるか、他からユダヤ人と見なされる人びとのことである。近代にはいり、ユダヤ人は必ずしもユダヤ教徒ではなくなった。ユダヤ人は、それぞれ、非常に多様な思想をもって、多様な生活を送るようになった。しかし、彼らの内面は、歴史からくるユダヤ人としての側面と生まれ育った国の文化からくる側面とが複雑に入り混じっており、並存型、融合型、不協和音型、矛盾型、相補型に分けられるという。
第2のポイントは、ユダヤ人すべてが、パレスチナの地に国家を建設しようとしたわけでないということだ。じっさい、現在、イスラエル国のユダヤ人とほぼ同じ数のユダヤ人がアメリカに住んでいる。
鶴見は、イスラエル国建設は、ロシア・東欧を発祥の地とするシオニスト運動によるものだという。このロシアとは、現在のリトニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァのことで、かって500万人のユダヤ人がいた。
けっして、イスラエル国は、ホロコーストを体験したユダヤ人が建設した国ではない。イスラエルの歴代の首相は、ロシアからの入植者か、その子孫である。
第3のポイントはシオニストにもいろいろあるということだ。軍事訓練を行っていた武闘派のシオニストが中心になってイスラエル国は建設された。鶴見は、モノの考え方の根底に、「敵か味方か」の2者択一があると、軍事的な防衛と敵のせん滅に走りやすい、と言う。
これは、現在の自民党右派にも当てはまると思う。
私もリアリストとのところがあり、各集団は自己の利益を最大にするために戦っていると考えがちだ。しかし、軍事的な戦いは非常な労力と人的犠牲をもたらす。軍事的な戦いよりも共存のためのコストのほうが安い。軍備にお金を掛けることに反対する。
とりあえず まとめると、鶴見の『イスラエルの起源』は、従来のユダヤ人の古代史やヘブライ語聖書やタルムードにもとづいたユダヤ人論ではなく、現代史と国際関係論にもとづいたユダヤ人論になっており、現在のイスラエル紛争を理解するに最適の書と思う。
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