現在、町医者の紹介状なく、公立病院や大学病院に直接は行けない。これを日本政府は「かかりつけ医」制度という。
私の近所の小児科や耳鼻科の「かかりつけ医」は5分間で診療を済ます。金儲けを是とする社会では、厚生労働省のいう「かかりつけ医」制度は幻想だろう。
アレン・フランセスは、『〈正常〉を救え』(講談社)で、アメリカの「かかりつけ医」も7分にひとりの患者を診療し、こんな「かかりつけ医」に向精神薬をまかせてはいけないと書く。
アレン・フランセスは、米国精神医学会の診断マニュアルDSM-IVの作成委員長だった人である。米国精神医学会から引退したが、新版DSM-5の作成過程に危機感を覚え、精神疾患診断のインフレに警告を発している。その理由は、潜在的に危険な向精神薬を、ひとりでに治る場合にも、使うようになるからである。
しかし、ジョエル・パリス教授は、『DSM-5をつかうということ』(メディカル・サイエンス・インターナショナル)で、これは「かかりつけ医」だけの問題ではなく、「精神科医は自分自身のことを、診断的な洞察力を持つ精神薬理の専門家だと思っており、精神療法にはほとんど時間を費やさなくなっている」と書いている。
金儲けを是とする社会では、アレン・フランセスやジョエル・パリスが何を言っても、レイチェル・クーパが指摘するように、精神科医に時間のかかる精神療法を期待するのは無理だろう。勝つのは、巨大産業化した薬品業界であろう。メディアや医師を金の力で制しているからだ。
すると、金儲けを是とする社会を変えるまで、自衛するしかない。
一方で、斎藤環の言うように、素人が精神療法をするのは危険であろう。精神療法はあまりにもセクト化し実践はむずかしい。重い疾患を治すのは向精神薬の使用を認可された精神科医にまかせ、自衛として、こころのやまいを予防する、あるいは、精神的苦痛が軽いうちに、まわりがいやすことだと思う。
予防でもっとも効果的なのは、斎藤環が紹介していたウィルフレッド・ビオンのベータ要素をアルファ要素に変えることだ、と私は思っている。ビオンは、母親が赤ん坊に果たす役割は、赤ん坊が苦痛なものとして受け入れることのできないもの(ベータ要素)を、母親が飲み込んで、赤ん坊が耐えることのできるもの(アルファ要素)に変えて、赤ん坊に与えることだという。
これは、精神療法と違い、誰でもがやろうと思えばできることである。相手が、赤ん坊でなくても、幼児でも、子どもから若者への変わり目であろうとも、若者であろうとも、できることである。母親でなくても、父親でも、学校の先生でも、相談員でもできることである。ちょっと親切で、ひとの気持ちがわかれば良い。
耐えることのできないものを、ちょっとした包み(言葉や態度)で、耐えることのできるものにすれば良い。
精神科医が診療に15分しかさけないなら、誰かが、親やまわりのひとに、このことを教えれば良い。
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