川北稔の『イギリス近代史講義』(講談社現代新書)は2010年出版の奇妙な本である。ふつう、歴史書というと、政治か思想の歴史を扱う。そのつもりで、図書館から借りてきたのだ、そうではない。近代史の時間的範囲は16世紀から20世紀までを扱う。ロンドンを中心に都市と田園との文化の相互作用を扱う。いろんな説が紹介され、それが否定されていく。著者の狙いは、自分の頭で批判的に物事をとらえてほしいということであろう。
とくに面白かったのは、最後になる第5章の「イギリス衰退論争―陽はまた昇ったのか」である。イギリスは第1次世界大戦後衰退していったという説を多数紹介した上で、最後になって、経済成長を是としなければ、イギリスは衰退したと言えないという説を出してくる。
私はプレディみかこの普通の人の生活は苦しくなったという報告を信用するから、サーチャー政権をターニングポイントとしてイギリスは衰退していったと思っている。充実した福祉政策を維持できるかが国力を如実に表すと思う。
第2章に、経済が、農業(第1次産業)、工業(第2次産業)、金融業(第3次産業)と発展していくというベティの説があったと紹介される。じつは、私はIBMにいて、2000年代初頭に会社中枢から同じ説を聞いている。これから、第3次産業、サービス業の時代で、IBMはこれをビジネス・ターゲットとするというものである。ここでいうサービス業とは、キャバレーや飲食業のことではない。アメリカでサービス業と言えば金融業のことである。
日本と異なり、アメリカやヨーロッパの金融業は金融商品を売りまくり、2000年代の始めまで羽振りが良かった。私も単純バカで、これから産業資本主義でなく、金融資本主義の時代が来ると信じた。ところが、来たのはリーマンショックであった。金融破綻をオバマは税金を使って抑え込んだ。自由主義経済なら、企業の責任は企業でとるべきで、国民の税金を使って救ってはならないはずである。だから、オバマは自由主義経済の原則を破ったのである。企業を国策として救ったとしても、経営者は株主や従業員や顧客を裏切ったのだから刑務所に入れるべきである。しかし、税金で金融業を救くったが、経営者の責任を問うことはなかった。経営者の誰一人、超高層ビルの最上階にある取締役室から飛び降り自殺をしなかった。
それ以来、無節操な金融資本主義と自由主義経済に私は不信感をもっている。
川北は、じつは、18世紀には、農業、工業、金融業とは、フランス、イギリス、オランダのことを言い、この順に、個人所得が高くなると考えられた。ところが、20世紀にはオランダが国力を衰退させ、ドイツ、アメリカが重工業、化学工業を背景に国力をつけてきて、農業、工業、金融業の発展説が忘れられた。
20世紀の半ば過ぎになって、イギリスのサッチャー(当時首相)は、イギリスの産業が国際競争力をなくしたのは、第2次世界大戦後の労働党のゆりかごから墓場までの福祉政策のせいであるとした。貧しいのは自己責任である、怠けるな、働けという政策を行った。川北によれば、サッチャーの新自由主義で、イギリスの製造業は復活しなかった。復活したのはシティ(金融業)だけである。
しかし、金融業はイギリスを救わない。イギリスの国民はEU離脱に象徴されるよう、混迷を深めていくだけである。
金融資本主義のお手本と思われるアメリカも混迷を深めている。中国の経済発展がアメリカの将来を危うくしていると、バイデンもトランプもわめいている。アメリカの産業の衰退は50年前から起きている。それなのに、今になって、アメリカの政治家は慌てふためている。
日本の自民党もアメリカ政府の動きに慌てふためいているだけだ。私は、経営者の経営責任を厳しく追及し、安易に企業を救ってはいけないと考える。経営者に甘くすれば、社内の派閥闘争に明け暮れ、社内の人材を活用されない状態に陥る。世論は、もっと厳しく経営者をみていかないといけない。いま、日本では、バカが社長や会長になっている。日本の問題は、年功序列とか終身雇用にあるのではなく、日本の経営者の質にある。
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