加藤陽子の『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』 (朝日出版社)に、「石原莞爾」「最終戦争論」「八紘一宇」「田中智学」「国柱会」という言葉が出てきた。
じつは、私が子どものとき、両親の部屋に石原莞爾の本『最終戦争論』があった。その本をのぞいて、戦前は「国」を「國」と書いたことを知った。
また、母が日蓮宗の信者で、母のいとこを講師として母の兄弟が集まって「講」を開いていた。母のいとこは、田中智学の国柱会の信奉者で、地球ができてから20億年、宇宙が誕生して40億年と言っていた。現在の科学では地球ができてから44億年、宇宙が誕生してから138億年だそうである。私が大学院生のときは、宇宙が誕生してから200億年だった。
とにかく、加藤陽子によって、これら冒頭の謎の言葉が日蓮宗によってつながることがわかった。
そして、ふつか前に、図書館で島田裕已の『八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体』(幻冬舎新書)を偶然見つけた。
島田裕已がのべていることは、明治の終わりから昭和の初めまで、「日蓮主義」運動の熱狂があったということである。そのなかで、もっとも強い影響力を社会に与えたのが田中智学であるという。「八紘一宇」という言葉は田中智学の造語で、石原莞爾が「満州国建設」のときの理想としたという。
「八紘」とは「世界のはてまで」という意味で、「一宇」とは「ひとつの家」という意味で、世界が一体となるということらしい。
田中智学は江戸の庶民の出である。父が死んで10歳で日蓮宗の寺に入門し、19歳で還俗した。それ以降、在家の日蓮宗の運動家になった。組織力と経営力があり、「国柱会」を育て、著作、講演、文化活動を通して、信者を増やしていった。国柱会の会員には、石原莞爾、宮澤賢治、小菅丹治、近衛篤麿、高山樗牛、武見太郎などがいたという。
日蓮宗は「南無妙法蓮華経」という題目を唱える。浄土宗や浄土真宗は「南無阿弥陀仏」という念仏を唱える。唱える声の調子は、前者は煽動的で、後者は心をしずめる効果がある。
日蓮宗は他宗派に対して攻撃的な傾向がある。じっさい、開祖の日蓮は、他の宗派を邪教だから取り締まれと当時の鎌倉幕府に訴え、逆に、取り締まりの対象になっている。
島田裕已は、日蓮は、国というものを意識した最初の僧侶で、また、国や他宗派から迫害を受けることを「法難」とし、被害者意識をヒロイズムにかえたとみる。
田中智学は、さらに論理を飛躍して、天皇に日蓮宗が認められ、それにもとづいた善政が行われることを、運動の目標とする。田中智学は日蓮宗と天皇を中心とする国家主義とを結びつけた。
田中智学の講演や著作物は戦前の右翼や国家主義者や農本主義者に影響を与えたという、島田裕已はいう。「法難」からくるヒロイズムは「テロ」による弾圧突破につながる。
例えば、2.26事件で死刑になった北一輝は、田中智学の思想に影響を受けたという。ただし、島田裕已は、北一輝が神憑りの男だったという松本清張の説を紹介している。島田裕已は、私と同じく、非合理な考え方(神秘主義)をすることが嫌いで、北一輝を神格化する風潮に我慢がならないのだと思う。
このように、島田裕已は、田中智学の国柱会は、大正時代を最盛期とする「日蓮主義」の熱狂的運動だ、とする。私は、さらに、その背景は、明治維新で始まった欧米文化の怒涛のような流入に対して、江戸文化で育った庶民の反撃、自己肯定の運動ではないか、と思う。そして、自分は正しいのに、なぜ、貧しいままなのか、政治が間違っている、という思いにいたる。
しかし、政治の誤りを正すのに、彼が日蓮や天皇を持ち出したことが、あらぬ方向に日本を導いたのではないか、と思う。
戦前の右翼的思想や日蓮主義は、戦後も隠れた形で生き続けていると思う。私は、それを掘り出して対決する歴史家、宗教家、思想家が必要だと思う。
[補遺]
「八紘一宇」の田中智学による説明を島田裕已が引用しているが、田中智学の説明があまりにも意味不明なのに驚く。熱狂的運動とは、ひとびとの劣等感につけこんで、自己肯定感を催す意味不明の言葉、呪文を与えることで、引き起こされるのかもしれない。
〈世界人類を還元して整一する目安として忠孝を世界的に宣伝する、あらゆる片々道学を一蹴して、人類を忠孝化する使命が日本国民の天職である、その源頭は堂々たる人類一如の正観から発して光輝燦爛たる大文明である、これでやりとげようといふ世界統一だ、故に之を「八紘一宇」と宣言されて、忠孝の拡充を予想されての結論が、世界は1つの家だといふ意義に帰する。〉(田中智学)