悠山人の新古今

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050 秋ならば嵐山

2005-08-25 02:00:00 | 新古今集

 詞書に「大堰川にまかりて紅葉見侍りけるに」とある。このころからすでに、清流大堰川(おおいがわ)を前景にしての嵐山は、紅葉狩りの名所であった。新古今和歌集の巻五秋歌(あきのうた)下は 0550 で終わり、0551 から巻五冬歌(ふゆのうた)に入る。悠山人選も次回から冬歌。

【略注】○思ふこと=心配ごと。
    ○見まし=「見るであろうに。」(小) 「見ようものを。」(新) 「見ることだろうか」。
    (岩)
    ○嵐の山=気象の「嵐(荒らし)」、地名の「嵐山」の掛詞。
    ○藤原輔尹(すけただ)=尾張守興方の子(一説に大和守貞方の子)。別人に
    「大和守輔尹」「佐忠(すけただ)」がいて、昔から混同される。
【補説1】大堰川(おおいがわ)は、嵐山と天竜寺を挟んで流れる。それをつなぐのが有
    名な渡月橋。京都を舞台とするTVドラマの定番である。去年の秋、橋元で人力
    車に乗ろうとしたら、殺人事件が発生したらしく、京都日報の橋本功記者が、しき
    りに渡月橋を走り回っていた。(しばらくしてから、偶然にその場面をTVで見た。)
    「嵐山は山城国の歌枕。
      朝まだき嵐の山の寒ければ
      紅葉の錦着ぬ人ぞなき (拾遺集・秋・藤原公任)」(新潮版)
【補説2】琴きき橋伝説。渡月橋のあたりで大堰川は、ほぼ正確に東から西へ流れてい
    る。その橋の北詰(天竜寺側)に、大きな松の木に隠れて、小さな木柱・石柱が
    ある。「琴きゝ橋跡」「かつらかは」(桂川)など、変体かなまじりだ。人目をはばか
    るようなそれらの碑群に、背丈ほどの細長い角石柱が雑じっていて、二行書きの
    行書で和歌が掘り込まれていた。
      一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に
      ひかれて来にけん望月の駒
     何回も来ているけれど、いままで気にも留めなかった。帰宅後しらべると、かな
    り有名らしく、いくつかの断片引用が目に付いた。つい最近の京都市の資料には
    次のようにまとめてある。
      「琴の名手として知られた小督(生没年未詳)は,高倉天皇(1161~81)の寵愛
    を受けたが,中宮の父平清盛(1118~81)の逆鱗に触れ,内裏を出て嵯峨野に隠
    れ住んだ。天皇から捜索の命を受けた源仲国(生没年未詳)は,彼女の琴の音を
    頼りに居所を尋ね当てたという。この石標は小督の弾く「想夫恋」を仲国が聞いた
    と伝える橋跡を示すものである。」
    http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/uk016.html
※ ブログ、全くの無知から始めて、もうすぐ二か月。読み進みと同時進行の「悠山人
 の新古今現代詠」も50首になった。密かに想定した百選には、とても収まらない。区
 切りのいいところで、しばらく休むことにする。日暮れて道遠し。羊頭狗肉にならない
 よう、新古今を意識しながらの短歌は継続の予定。