6丁目のつぶやき

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南北朝時代の千早城

2019-06-19 | 

楠木正成が築城して
100日の籠城戦で鎌倉幕府軍は撤退し
幕府滅亡の引き金になった
千早城は
日本100名城の山城と聞き
電車乗換えを何度もして
やっと辿り着いた

大阪南部の三方を谷に囲まれ
三角錐の急峻な頂上にあるこの城
つづら折りの階段を約25分
喘ぎながら標高673mの
二の丸、本丸にたどり着く




南北朝時代の縄張りで
今は二の丸、本丸跡が平地になって
千早神社の社が本丸跡地に
人気なく寂しく建って いた


800人の手勢で10万の北条軍を
撤退させたこの地形
崖淵から集落「千早」が見下ろせ
敵の動向が手に取る様だ

目に見える遺構は何にもなく
ただの金剛山登山の端としか思えず
これが100名城かと思ったが
おそらくどこかに
土豪や空堀などが残って
いるのだろう

香港から来た男性が
100名城スタンプ帳を見せて
スタンプは何処にあるかと
スマホ通訳で
聞いてきたが
こちらもわからず
麓で探してみたらと
手話とスマホで答える


私の中ではガッカリ100名城ナンバー1だが
多分
鎌倉幕府滅亡のきっかけとなったことが
選定の理由か?

良いトレッキングだったと
ふもとで缶ビールを飲んで慰めた







コメント (1)
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