青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

シルビアシジミ その後

2024-05-17 21:01:26 | 雑記 報告


東京滞在中は電車で移動していました。車内に貼りまくっている「無駄な体の毛を抜こう」みたいな脱毛クリニックとかのポスターの、気持ち悪い事ったら、ありゃしません。

ビッグモーターも同じですね。会社の前の余計な植栽を全て排除する。

日本の大衆に蔓延する、無意識的な同調思想の現われに他なりません。みな、ビッグモーターの社長と似たり寄ったりの意識を持っているのです。人間が一番尊い、という過信。



絶滅危惧種(1B類)シルビアシジミは、今年は、僕の部屋から徒歩2分30秒の、公団住宅中庭のミヤコグサ群落に発生しています。そのミヤコグサの駆除を先週の日曜日に行うとの情報を得たので、管理人の若いご夫婦と話し合う機会を持ち、資料をお渡しし、状況を説明しました。

>草刈りは仕方がありません。でも出来れば、せめて一角(1m四方ぐらい)でもミヤコグサを残しておいて貰えないでしょうか?

その僕の申し出に快く応じて下さいました。そして、どうせなら草刈りに一緒に参加して頂いて、残す部分を指示してくださっても良いのではないでしょうか?と言うことだったので、僕もそのつもりでいたのですが、あいにく日曜日は雨で中止。

一昨日、電話がありました。住民の人たちに説明したところ、ダメだ、受け入れられない、全て奇麗に刈り取らなければならない、とのこと。管理人の奥さんは、可哀そうなくらい申し訳なさそうに、自分たちは賛同しているのだけれど、住民の意見は聞かざるを得ません、と謝ってくださいました。

>いいですよ、野生の生き物はしぶといので、いなくなってしまうことはないと思います(どこかに移動する)。ただ、全部刈り取ってのっぺらぼうにしてしまうのは、ちょっと心配だったので、ワンステップとして、ほんのちょっとでも発生地を残しておいて欲しかったのです。たぶん大丈夫(どこかに移って生き延びる)と思うので、心配しないでください。

>ただ、とても残念です、

と一言付け加えておきました(お気持ちは良くわかります、今後も挫けずに調査や撮影を続けてください、と言ってくださったので、個人的にはそれで良しと思っています)。



去年の発生地(団地から20~30mほど離れた公園入口)でも同じことを繰り返してきました(7月上旬)。刈り取りを行っている業者の方にお願いして、産卵真っ最中のミヤコグサだけを刈り残して貰いました。もっとも、秋には再度刈り取りが行われて、丸裸の芝生状になってしまったのだけれど、今年もどこかに移って生き延びているはず、と信じてきました。

シルビアシジミの性質上、個体群を維持していくうえで、ある程度の棲息環境の攪乱が必要なのです。安定した環境ではなく、常に変動が成される空間(そのことはシルビアシジミに限らず、多かれ少なかれ、大多数の野生生物について言えることです)。

人為によって為された植生環境の返還は、蝶などの生物にとってマイナス要因ばかりとは言えません。移り変わることで、結果としてプラスに作用することがあります。ある場合には、人為に拠る圧力に拠って滅びてしまうだろうし、ある場合にはそれが功を奏して繁栄に結びつく。

人間が好適と思われる環境を用意しても(いわゆる保護活動)、ダメなときはダメですね。逆に、徹底開発を行っても、案外生き残ることもあります。

遷移を持続するためには、人為を介入しなければならない(いわゆる「里山」の概念)、というのだけれど、実のところ、それも本当かどうかは分からない。放っておいても(都市近郊などの限定された環境のなかでは)植生は大きく変わらない可能性もあります。

いずれにしても、どの生物も微妙なバランスの上に成り立っているのです。その中でも、シルビアシジミは、究極の微妙なバランス上に立脚している。

それやこれやで、シルビアシジミの実態(発生のメカニズム)を把握することから始めねばなりません(食草ミヤコグサともども)。

具体的には、草刈りが行われ丸裸の芝生状になった際、産み付けられた卵や摂食中の幼虫は生き残れるのか、ミヤコグサは再び復活するのか、それとも花も蝶も全滅してしまうのか。

仮にその空間から全滅したとしても、別の空間に移動することで生き延びる。じゃあ、その空間は何処にあるのか、どのようなタイミングで移り住んでいるのか。それらを実際にチェックしておく必要があります。



そのまえに、ひとつ別の話を挟んでおきます。

いわゆる絶滅危惧種の多くは、郊外の“豊かな植生環境”の地より、意外と町の中などで発生している種が多いのです。人為による圧力を、プラスに作用している傾向があります。たっぷりと好適な環境が保たれていることが、必ずしも生物たちの側にとって好ましい条件であるとは限らず、ギリギリの綱渡りの状況に置かれ続けていることが、むしろ好条件に作用する。

以下、全くの冗談ではありますが。

僕自身においても、あるいは高名な創作者の例(例えば斎藤茂吉の場合について以前このブログでも触れたことがあるはず)に於いても言えることなのですが、時間的、肉体的、精神的、経済的余裕があるときよりも、余裕がなく追い詰められていたような状況(とても創作活動に専念できないような状況下)にある時の方が、案外良い作品を生み出せている。

僕も、いつも思うのです。お金があったら、もっともっと良い成果(写真撮影、研究調査、作品制作)が残せているはずなのに、それを思うと残念で仕方がない、と。でも、経済的な余裕がたっぷりとあったなら、案外今よりもつまらない成果しか残せていないのかも知れません。

結果として、ギリギリの状態であることが、功を奏しているという場合もあると思うのです。



環境の整備とシルビアシジミの消長、という話に戻すと、ギリギリということはどういうことかというと、完璧に人為に制圧されるのではなく、隙間や抜け穴があるということです。

公園も公団住宅も、年に数度の一斉草刈りで、完璧に芝生状態になってしまいます。

正確には“ほぼ”一斉に、“ほぼ”完璧に、です。

空間のずれやタイムラグが伴うのです。

本当は、一斉に完璧に、無駄な空間(雑草やそれに伴う生態系)を排除し、雑草やそれに伴う虫の発生などが恒久的に見られなくなる、完全人間主導の環境造りを求めているのだと思います。

しかし、現実問題としては、それが完遂されることはない。予算と人手の問題です。予算と人手の不足により、どうしてもバラツキが生じてしまう。

そのために、時間的にも空間的にも、パッチ状の環境(常にどこかに刈り残し)が生じて、そのことで“ギリギリ”の条件を継続提供し続ける結果になる。

絶滅危惧種というのは、絶滅に至るわけでも、繁栄に向かうわけでもなく、常に危惧に面していることが“正常な状態”であるという、マゾヒステックな集団なのです。



まあそれが僕の認識なので、少々の外圧(発生地が丸裸の芝生状にされてしまう)があっても、トータルでは、種や個体群の継続に於いては、心配は杞憂である、、、、と言いたい所なのですが、本当に大丈夫?となると、確信は持てません。

彼ら(シルビアシジミやミヤコグサ)のアイデンティティを知ること(系統分類の認識に関わる問題)、実態を知ることに取り組む必要があります。

ミヤコグサ(非常に複雑極まりない)はひとまず置いて、シルビアシジミの実態。

周年経過を把握した上で、それぞれの世代の日齢ごとの終日行動の把握。いつどこで何をしているか、環境や天候の変動との兼ね合い。

そこいらの野良猫ちゃんだって、一日の行動は、他の個体との関わりも含め複雑極まりないと思います。それを把握するのは至難の業です(なんなら人間に当て嵌めても同じ)。

ちっぽけな、それも敏速に飛び回る蝶のこと、卵や幼虫はもっとちっぽけなわけですし、至難度は遥かに高くなってきます。

僕が出来ることは、花で吸蜜、雌雄の求愛、卵を産む、、、等々、個々の局面をチェック・撮影することぐらいです。上記のような観察を継続して行い、全体像を繋ぎ合わせるには、大変な気力労力時間を要します。その前にカメラが無い事にはミクロな対象の記録は出来ません。でも、それらをしなくてはならない。

それで、この間もちょっと書いたと思うのですが、隣接する高等学校のことを頭に浮かべました。たいていの高校には、生物研究クラブとかがあるのではないでしょうか。そこの指導教師や生徒さんたちに協力を求める。

人海戦術で調査が進むことに加えて、生徒の皆さんにも自然に興味を持って貰えるし、僕にとっても地域との繋がりが出来ます、地元にとっても将来の展望の糸口になるかもしれない。良い事ずくめではないですか。



早速、高校を訪れ、若い担当教師と面談しました。今は生物部とかは無いみたいですね。科学部です。生物といっても、単純な野生生物ではなく、(人類の役に立つ)応用生物。まあ、社会がそのような方向に進んでいるので、仕方ありません。

一応趣旨は受け入れて頂きました。協力は吝かではないと。ただ条件があって、高校としては個人(青山)との連帯は出来ない、間に行政が介入しないことには、動くことが出来ません、と。

これも仕方がないですね。ということで詳細は略しますが、昨日丸一日がかりで、市役所の様々な課に相談に赴きました。その結果、どこも見事に冷たくあしらわされて、うちはそんな案件には関われないと、門前払いです。

県のほうに行きなさい、との指示を受けて、県の機関にもちょうど用事があったので、そちらに向かいました。

去年の秋、某氏を通じて、県の飯塚支庁の環境ナントカという部署から、今年一年の地元の啓蒙活動への協力を求められて、承諾しました。

何人もの関係者に引き合わされ、ついては後ほど具体的な活動について連絡をするので、待機しておいてください、とのことで、それなりに準備してスケジュールも空けていたのです。しかし全く音沙汰がない。

それで、その後どのように進展しているのですか?と問い合わせました。すると、最初に引き合わされた時には、こちらが恐縮してしまうほど、不自然なほどに低姿勢だったのが一転、滅茶苦茶居丈高な態度で出てきたのです。そんな話は知らない、全て間に立った某氏に任せている、と。その某氏とは連絡もつかない状況です。で改めて進行状況の確認を問うと、うちは関係ないし、貴方に答える必要はない、の一点張り。

それはともかく、高校の件について問い合わせました。やはり、うちは関われない、の一点張りです。福岡の県本部の環境課とやらに電話連絡して貰ったのですが、そういう懸案には関われないし、貴方と話し合いもするつもりもない、と。



まあ、しょうがないです。

でも、(いろんな意味で)ひたすら情けなくなってきます。








シルビアシジミが発生している、公団住宅隅っこのミヤコグサ群落。






刈り取られたあと。








同上






コメント
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