青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

柳浪/眉山

2013-06-06 20:14:41 | 

雨、広津柳浪ですね。この4日間、連日の雨です。雲南は晴れの日が多いのですが、広東や広西の山間部は、この時期、梅雨の真っ只中のようです。

降り続く雨を背景にして物語が進んで行く、柳浪の短編小説「雨」は明治35年の発表、有名な「今戸心中」や「変目伝」「河内屋」「黒蜥蜴」などよりも5年余り後、彼の作家生活終盤の作品です。

「落ち目の柳浪」と呼ばれたりもします。風貌、代表作、そして彼の実生活、、、、“落ち目”はいずれにも相当するのでしょう。なにしろ柳浪といえば「悲惨小説」です。「観念小説」の川上眉山、泉鏡花と、3人セットで扱われます。

研友社の総師・尾崎紅葉より6つ下の鏡花は“紅葉の弟子”というポジションで、大正、昭和初期を通じて永く活動を続けますが、6つ上の柳浪、2つ下の眉山は、紅葉に対しては“友人”という立場。別段、紅葉と対立していたわけではないのでしょうが、微妙に距離を置いていたと言われています。明冶も30年代で実質活動を終えます。

「文章は美しさをもって第一とする」という紅葉のポリシーを前提として、思想的なエキスも(それとなく)加味したのが、柳浪や眉山の作品の特徴です(心理描写が素晴らしい)。

「雨」の執筆された明治35年は、一葉(29年没)、紅葉(36年没)、緑雨(37年没)等の、旧(ここで言う“旧”とは“古い”という意味ではなく“昔の文体”という意味)時代が終わり、花袋、藤村、秋声ら自然主義文学興隆の真っ只中(“自然主義にあらずんば作家にあらず”と言われた由)。このあとすぐに“新時代”の若者、荷風、潤一郎、直哉などが登場、遅れてきた中年、漱石がデビュー、鴎外、二葉亭も活動を再開します。その直前の時代です。

柳浪が作品を書き続けていたならば、漱石と並ぶ存在と成っていたのでは?と感じることがあります。しかし彼は、20年近くの余生を残して、筆を折ってしまいました。机の前に座って、何も書かず過ごす日々が、延々と続いたそうです。

子息の作家・広津和郎の有名な随筆。ある年の中秋の名月の夜、眉山が訪ねてきました。二人で月見をしていたのですが、やがて暇を持て余したのか和郎を呼び寄せ、オイチョカブを伝授した、、、。また、ある夜、 眉山が「世間は我々の時代は過ぎ去ったと言うけれど、これからが勝負、巻き返し図ろうではないか!」と興奮して語るに、柳浪は押し黙ったまま、、、、。

僕が思うに、このとき眉山は“無心”のため柳浪宅を訪れたのではないかと。しかし、和郎の親友、芥川龍之介曰く、「柳浪の子供たちは、あまりの貧乏ゆえ、飼っていた金魚を食わされていた」、、、、幾らなんでもそれは無い、と和郎は言いますが、それほど貧していたことは事実なようです。柳浪としても、どうにもしようが無かったのでしょう。

やがて眉山は自殺します。柳浪は相当うろたえたようです。「自殺の原因は生活苦ではない、芸術的思想に行き詰ってのもの」と、ほとんど自己弁護とも言えそうなコメントを対外的に発します。むろん、生活苦も芸術上の行き詰まりも、ともに原因(裏表一体)であることは、柳浪こそ充分承知していたはず。

「自然主義」文学の全盛期、旧世代の作家はお呼びでない、と言っても、柳浪も眉山も、ある意味その先駆者だった。でも彼らは“剥き出しの思想”を小説として表すことを、良しとしなかった。何よりも“文章”が大事であり、それをもって“芸術”として昇華されねばならなかった。

唐突ですが、「テーン・ポップス」と「ビートルズ」以降の新世代音楽との関係ともクロスします。また、従来のC&W音楽(ことにポップ・カントリーやナッシュビル・サウンドと呼ばれている都会派C&W)と、ボブ・ディランに始まる“フォーク・ロック”とも(当時圧倒的な支持を集めていた“フォーク・ロック”に対して、ポップ・カントリーの代表としての、ジョニー・ティロットソン[自作]の「カントリーボーイ」とトム・ジョーンズの「思い出のグリーングラス」を褒め称えた、高山宏之氏のコラム記事が素晴らしい)。

大衆に受け入れられるためには、文章なり、思想なり、どちらにしろ明確な立ち位置を示しておくことが必要です。紅葉の名言「時代の半歩先を進むこと」。時代(大衆)と同じ足取りでは先駆者足りえませんし、一歩先を進んでしまえば大衆はついて来れません。

今はマイナーな作家としてしか認識されていないのでしょうが、明治30年前後、柳浪、眉山は、実力的には(貧乏のため早世した樋口一葉を含めて)第一人者と目されていたのです。太宰治の「眉山」で示されているように、昭和の初期頃までは「川上」と言えば「眉山」と反応するほど高名な存在でもあったのです。鴎外・露伴・緑雨らによる「三人冗語」や「雲中語」で「たけくらべ」をはじめとした一葉の作品が絶賛されたことは余りに有名ですが、柳浪の作品について割かれた項も一葉のそれに劣らずあることは、現在では余り知られていません(柳浪は露伴のライバルと目されていたふしがあります)。

柳浪1861年生まれ。研友社の総師・紅葉(1967年生まれ)より6歳上(鴎外より1歳年長)。眉山1869年生まれ。紅葉より2歳下(露伴や漱石からも2歳下)。柳浪と眉山は8つ違いです。

自決したデル・シャノンは1934年(暮)生まれ。相棒のブライアン・ハイランドは1943年(暮)生まれ。9つ違い。ちなみに二人と仲の良かったジョニー・ティロットソンは1939年(春)生まれ、ちょうど中間でそれぞれ4歳半づつの差。脈絡は全く無いのですが(笑)、助けてあげられなかったのでしょうか。

まるっきり話が逸れてしまいました。

「雨」は良い作品です。ドラマチックな出来事が起こるわけでも無く、淡々とした展開で、結末ともいえぬ結末に向かって進んで行きます。Sad Storyではあるのですが、どこか暖かい眼差しが、、、。「悲惨」のなかに「救い」も感じる、柳浪の作品に共通した特徴です。


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