青山潤三の世界・あや子版

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貴聯・Monicaの故郷2013.6.12~13【翁源紀行(part)】

2013-06-20 03:25:46 | 
貴聯は広東省北部の山中の農村です。詔関市(日本の県に相当)翁源県(日本の市に相当)の北東端、河源市達平県との境界に位置していて、村の中に境界があります(モニカの叔父さんの家は二つの市・県に分断されている)。歩いて行けるすぐ裏山の向こうは江西省。モニカたち村民の先祖は、北方から移住してきた“客家”と呼ばれる人々で、その独特の集合住宅は、最近は日本でも良く知られています。

前日、モニカは一足先に村に帰りました。久しぶりの帰省、ゆっくりと家族団欒を楽しんで貰おう、と思っていたので、僕は今日の夕方家を訪ね、夕食を一緒にして、翌日の昼過ぎのバスで、一足先に町にもどる予定を立てていました。




足の状態は最悪、一応薬で抑えていたのですが、ここ数日歩き回っていたこともあって、再び激痛が襲い出しました。最終のバスで行って、翌日早くに帰って来るならば大丈夫だろうと。実は、一週間前に、一度一人で(お忍びで)村を訪ねているのです。その時に中途半端にしかチェックできなかったコンロンカの分布状況を再度確かめておこうと、お昼のバスで出かけることにしたのです。しかし、モニカの気が変わったのか、2時のバスで来いと。そこで、9時半のバスに乗って、約一時間後に手前の山中で降り、足を引きずりながらコンロンカのチェックをしつつ、2時のバスに乗って向かえばいいと思っていました。


ところが、モニカから電話。何してるの、もう12時よ!昼食に間に合わないじゃない、迎えに行くから動かずにそこでジッとしていて、と。で、東莞(広州とセンツェンの中間の都市)の職場からとんぼ返りで帰省していた弟とバイクで迎えに来たところです。コンロンカの花をバックに。


翁源の名産「三華李」。美味しい! 元はといえば今回の帰省は、この時期に開かれる“三華李節(祭り)”に行かない?というモニカの提案から始まったのです。


お父さんに挨拶した後、3人で慌しく食事。これで結構美味しいのです!


モニカは、これからこの“霊茸” (病気に効き目絶大なんだそう)を取りに3人で江西省との境に横たわる山に行く、と勝手に計画を立てています。ヒィエ~! あ、足がチョン切れてしまうョォ!でも、せっかくのモニカの誘い、断るわけにも行きません。


結構ハードな山登りです。痛いのを堪え、必死でついていきます。稜線の向こうは江西省でしょうか。一体どこまで行くのだろう。


道を逸れてジャングルの中に。ミカン畑(たぶんほったらかし)を横切ってあちこちを歩き回ります。どうやら、昔、もう20年近く前、モニカが7歳か8歳の頃まで自分たちの家の作業小屋があったという場所を探しているようです。でも環境が全く変わっていて、場所を特定することが出来なかった。いろんな虫が沢山いたんだって!






“霊茸”が生えているという、原生林に行き着くためには、時間が遅すぎます。夕食までには帰らなくては、とUターン。僕にとっては、ホッ、というところ。でも道は泥だらけで、村までは相当に時間がかかりそう。なにやら見つけて真剣に作業を始め出しました。道脇に生えていたドクダミを片っ端から引っこ抜いていきます。持ち帰って“どくだみ茶”にするのだとのこと。それにしても真剣です。以前にも似たような姿を見たことが何度かある。弟が手伝おうとするのですが、取り方が全くなってない(根をちょん切ってしまっている)とダメ出し。都会人っぽい弟と違って、モニカは完璧な山ザル(笑)。川の水で根っこを綺麗に洗って、はい、記念撮影。僕とのツーショットもあるのだけれど、みっともないのでブログではパスさせてください。


帰宅して、お父さんを交えて4人で夕食。僕より10歳余り若いお父さんは、なかなかの好漢です。弟もナイスガイ!モニカは風体(みてくれ)は2人に格段に劣りますが、中身はきっと共通するものがあるのでしょう。




翌日、弟は朝一番のバスで、東莞の会社に戻ります。僕は夕方のバス。なんとならば、昨日のリベンジに、“霊茸”の生える山に2人で再挑戦するのだとか。ヒェィ~~!! さすがに今日は無理だよー! でもモニカが行くなら覚悟してついていかねばなりません。そこに救いの神が。おばあちゃんがやって来たのです。今日はおばあちゃんの相手をしなくちゃいけないので、“霊茸”取りは中止。おばあちゃんは神様です!!
2時半のバスで帰ることにしたので、一人で昨日行った山道の入り口辺りまで行きます。収穫は“野生苦麦菜”アキノノゲシの発見と、ウラフチベニシジミの交尾の瞬間との遭遇。交尾の瞬間から約40分、写したカットが何と268枚(うち260枚近くは後で消去)、その268枚目がこのカットです。むろん昼食は抜き、バスの時間の2時30分ギリギリまで粘り、交尾を終える瞬間を見届けようと思っていたのだけれど、お昼ご飯だよ~!すぐに戻ってきなさい、と無慈悲な電話。モニカはおばあちゃんたちと一緒じゃなかったの? 結局2人だけで食事です。なんかちょっと違うような、、、。




応接間(?)に戻ったら、お父さんが帰ってきていました。自家製の蜂蜜(「中国ミツバチ」、日本での和名は「ニホンミツバチ」です)。正式な養蜂の勉強をしたのではなくて、見よう見まねで作っているのだそう。知られざるこの村の名産。これがかけがえなく素晴らしい。甘いものがダメな僕にも、しっくりとくる美味しさです。そういえば、モニカは以前から、「羅平の蜂蜜なんて全然ダメ、うちの田舎の蜂蜜のほうが圧倒的に美味しいんだから!」と言っていたのを思い出しました。納得です。


このあと、お父さんとの激論が始まります。中国人は喧嘩をしているのか、普通に話をしているのか、分からないときが多々あります。でもどうやら喧嘩。モニカが出て行ってから、お父さんに「何の話をしていたのですか?」と訪ねたら、「お前、話の内容が分かったのか?」と不安げなお父さん。むろん一言も理解出来ていません。夕方のバスで帰る準備をしていたら、モニカが突然「同じバスで帰る」と言い出した。もう一日、家族とゆっくりしていれば良いのに、と思ったのだけれど、、、。お父さんの家(お母さんの家は山際の別の場所にあるのだけれど、僕はお母さんに会う機会はなかった)のすぐ前がバス停、なかなかバスがやって来ず、2人で待っていた時間がとても永く感じたように思う。道の向こうに100m余行った所が河源市達平県との境。


翁源(地元の人は“龍仙”と呼んでいる)の町のバスターミナル(?)。センツエンや広州などの大都市に向かう本物のバスターミナルは、100mほど離れたところにあります。モニカが担いでいるリュックは、ラムダのザック。僕が知人の佐久間氏から、厚かましくもモニカ用に頂いてきたもの。佐久間氏と奥さん、息子さん夫婦の4人が、ハンドメイドで作成している、アルパイン・カメラザック専門の、知る人ぞ知る老舗の店です。市販価格は6万円だとのこと(僕はお礼に、リュックカバーをかけず常時ロゴが見えるようにして、宣伝しているのです)。モニカはとても大事にしていて、僕には触らせてもくれません(笑)。




翌朝、長距離バスに乗って2人でセンツエンに向かいます。本物(?)のバスターミナルの前で、僕のお土産に、名産「三華李」を買ってくれました。中国人は果物を買うときも、永い時間をかけて、一個一個丹念に調べます。
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