東洋のレタス“麦菜”の謎 Ⅱ①
≪何度か繰り返し紹介する画像ですが、初出時に油麦菜と苦麦菜の順序が逆になっていたので、この機会に訂正しておきます≫
語:左から生菜(レタス)・苦麦菜・油麦菜 深圳のスーパーにて購入。
正:左から生菜(レタス)・油麦菜・苦麦菜 深圳のスーパーにて購入。
広西桂林2011.8.24
ここのところ一年のうち半分程は、ホテルを転々としつつ中国に滞在しているわけですが、日本人に出会う機会は非常に少ないのです。
2年前は“日本人バックパッカー御用達”とも言える成都の「シムズ」にいることが多かったので、日本人の若者や熟年諸氏も随分と見かけたのですが、シムさん一家がそこを離れてから成都での常宿を変えたため、また日本人に出会うことが少なくなってしまいました。
欧米人は、どこに行ってもそこそこ出会うのです。でも日本人は、いないところには全くいない。「欧米人はよく見かけるけれど、日本人はほとんど見かけない。来る時は、大人数が一度にやってくる」とは、雲南奥地の現地人の言。
桂林のユースでは、比較的日本人に会う機会が多いようです。今年も累計数週間滞在していましたが、数人の日本人の方に出会っています。僕と同年代の赤坂ご夫婦。定年前にして退職、ご主人は日本の大学で、奥さんは中国河北省の大学に交換留学生として、学び直しているとのこと。夏休みで2人揃っての中国旅行です。
食事に行きませんか? とのお誘いを受けたので、スーリンを案内役に、“重慶火鍋”を食べに行きました。スーリン、たぶんご夫妻に御馳走して頂けるのだろうとの目論みで(実際、御馳走して頂いた)、どんどん注文して行きます。僕は冷や汗ものです。
でも、こんな機嫌の良いスーリンも珍しい。奥さんのほうが、50歳台後半になってから中国語の勉強を始めたということに、いたく感激しているようなのです。たどたどしい中国語を喋るのですが、6カ月でそれだけ話せるのは大したものと、褒めること褒めること。返す刀で、24年経っても一向に中国語が上達しない僕を、ぼろくそに貶します(毎度のことなので僕としては“柳に風”ですが)。一年目には僕を追い越してしまうのは間違いない、と(それにしてもスーリン、その体型はなんとかならんもんか、、、、、運動不足が如実に表れているぞ、、、、、「パパは何だかわからない(山科けいすけ)」の「ママ」の存在を思い浮かべてしまいます)。
「火鍋」、いやもう、美味しかったのなんの。肉がたっぷり、野菜もたっぷり、、、(自分のお金で食べるチャンスなど、日本では100%無理でしょう)。最後に青菜を頼もう、ということになりました。そうだ、麦菜を食べなくては。この麦菜(たぶん油麦菜)が、なんともまた、美味だったのです。
←こちらは別の店で(一週間後)。
7年前、広東省の陽春で「苦麦菜」に出会って以来、“麦菜”の実態探索を中国でのテーマの一つにしているのだけれど、僕が中国語が出来ないこと、真面目にリサーチを行っていないことが原因で、一向に先が見えて来ません。
ということで、桂林の「火鍋」以降、少し真面目に取り組まなくてはと、この一ヶ月、情報の整理を試みているのですが、結局何が何だか分からなくなってしまい、泥沼に足を踏み入れた状態です。そこで、書きかけた草稿を全てボツにして、思いついたままの断片を、(前後の繋がりは無視して)箇条書きに記して行くことにします。
湖北恩施(左はたぶん油麦菜、右から2個目は「莴笋」) 雲南河口(左は生菜、右はたぶん油麦菜)
センツェン(左写真左が油麦菜、右写真は苦麦菜)