野へ山へ

2004年~

千ケ峰から高坂峠まで縦走 (兵庫100山)

2012年07月17日 | 山行記

昨日は、多可町千ヶ峰から高坂(こうさか)峠まで縦走しました。(珍しく夫も参戦)
千ヶ峰は昨年秋に登りに行きましたが、その時に笠形山までの縦走路(仙人ハイクルート)を知りました。
昨日は家を出たのが遅かったので全ルートは通せず、約半分の高坂まで歩きました。
前回は三谷登山口から登ったので、今回は岩座神登山口(卍神光寺)から千ヶ峰を目指します。


岩座神登山口付近に車を駐車し、獣除けのフェンスを開けて入山します。


カエルのナチュラル蚊取り線香、サラテ、ヒルさがりを携行。

夏季、特に雨上がりの低山では蚊はもちろん、アブ、ブユ、ヒル、マムシの攻撃が懸念されます。
吸血虫は大の苦手なので、対策は念入りです。
タイツの上にロングソックス、Tシャツの上からはMB MCメッシュトレーナー(レア)を着て、極力素肌を隠します。
(何故か夫はTシャツ、短パン、短いソックス、という完璧な無防備スタイル。)

岩座神からの登りは暗い杉林の急登。すぐにアブの大群がブーンブーンと轟音を立ててまとわりついて来ました。
後方から「痛っ痛っ・・・」という夫の声が。 さっそく攻撃されている模様。


最初の1時間弱でびっしょりと汗をかき、ほどなく千ヶ峰登頂。

立ち休憩をしていると、夫がヒルの吸血攻撃に遭いました!!
(※登山衣服は「低山」だからと言って軽んじてはだめですね。)


人生初、山ヒルとの出会い。(一見すると茶色のシャクトリムシに似ていました。)










さすが登山大会が開かれるルートとあり、よく整備された歩きやすい(走りやすい)
トレールでした。




飯森(盛)山






今回の行動食で一番気に入ったのは「チーかま とうがらし入り」。
「チーかま と 呼べるのは丸善だけ」だそうです。ひとつ知識が増えました。


爽やかな風が通り抜けるので、あまり暑さは感じません。


下から見上げる空が、もう夏

激下りして激下りして、高坂峠着。


ここの時点で午後4:30だったので、先を進めるのを断念し、
林道を下山することにしました。

 
神河町(かみかわちょう)と多可町(たかちょう)の町境を通ります。


土砂崩れで道路が遮断されていました。
復旧工事をされていましたが、そおっと横を通らせていただきました。

林道、車道、歩道、村の急坂を約2時間歩きました。


再び、登山口着 午後6:30 
復路も往路と同じアクセスで午後8時三田着。

 2012.7.17(祝)  千ケ峰から高坂峠まで縦走

アクセス:神戸三田IC-中国自動車道ー滝野社IC-R175-R472-岩座神登山口 (復路も同じ)
      岩座神ー千本杉ー千ヶ峰ー雨乞岩ー多田坂峠北ー多田坂峠ー飯盛(森)山ー飯盛(森)山南ー高坂峠北-高坂峠
      高坂峠ー林道ー県道8号線ー加美区奥荒田ー加美区的場ー加美区多田ー加美区棚釜ー加美区岩座神ー卍神光寺(車・駐車場所)

メンバー:夫・私

感想:登山よりも、高坂峠からの舗装道2時間歩きが意外に堪えました。最後の釜棚からは急勾配の道で辛かったです。今だ足が痛いです。

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帰省 5

2012年07月17日 | 日々

翌朝。 習慣で5:30に目が覚めました。
既に起きていた母が、「夜中に揺れたの解った??」と私に聞きました。
私:「地震?」
母:「うん、ゆらっと来たからすぐに電気を点けてラジオを聴いたのよ。よく寝てたから分らなかったでしょう~!」と。
母のベッドの横に布団を敷いて寝ていたのですが、揺れも点灯もラジオ音もまったく気付きませんでした。

さて、再びアトリエ整理続行です。
9時半頃。父から「そろそろお店が開く頃だから、カーテンを買いに行って欲しいんだけどね。」と言われました。
父いわく『東習志野のロイヤルホームセンターへ買いに行ったらどうか。』との案。

それにしても、いつの間に東習志野にロイヤルホームが出来たのか、知りませんでした。
実家には車も自転車も無いので、徒歩で東習志野へ向かって歩きました。
途中には懐かしい場所がたくさんありますので、ちょうど散歩がてらになりました。

官舎、演習場、習志野の原の名残りが松の林、エコの実家の前を通り、母校の西小学校、西中学校、
・・・そうこうしているうちに習志野市へ突入。 鈴木金属や日立の工場、イトーヨーカドー・・・
・・・懐かしさと同時に暑さも加わってきました。

「歩いて20分もかからないだろう」と父に言われた手前、意地でも20分以内ロイヤル必着を目指しました。
早足で歩きました。
・・・ロイヤル三田店なら家から徒歩5分なのに、東習志野店への徒歩は遠いのでした。

無事にロイヤルに着き、父の所望するカーテン&カーテンレールを購入。
再び往路と同じ道のりで復路を実家へ向かいました。

イトーヨーカドーのPへ差し掛かった時、「あ!あれは!!?」という建物を発見しました!!

P隣の奥に見え隠れするあの建物は、もしかして、夢にまで見た 懐かしの“ブルマー棟”ではないでしょうか!!??
千葉を離れて以降、ずっと頭の片隅から消えることが無かった、「ブルマー棟!てっきり無くなったと、壊したんだ、と思ってあきらめていたのに!
幻影ではないかと、2度ほど道を行き来しました。
よっぽど近くまで行って、全容を間近で見たかったです。・・が、早く帰実家してやっつけることが山ほどあるので、泣き泣き立ち去りました。


現存することが奇跡的に判ったので、次の帰省では絶対に“訪ブル”する所存です。
願わくば、私が訪ねるまで、きっと存在していて欲しいと願います。


実家へ戻り、大急ぎで古いカーテンレールを取り外し、新しいカーテンレールを付けてカーテンを下げました!
引き続きアトリエを片付けまくり、お昼を食べて片付けまくり・・・そうこうしていると早くも3時を回りました。
父が「もうそろそろ終わらしていいから。帰る支度をしなさい。」と指令を下しました。

完璧ではありませんが、アトリエ内は「まぁこれくらいでいいか・・・」という空間になりました。
結局、父の“生前整理”までは及びませんでしたが、さすがに時間切れなので帰ることにしました。



汗と埃だらけになったので、シャワーを浴びました。


お風呂場の窓からの風景、特に夏のここからの風景は色々と感慨深いです。

5:30発くらいの のぞみ で帰阪しました。

(終わり)

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帰省 4

2012年07月17日 | 日々

どこから手を付けたらよいか解らない父のアトリエは、アトリエと言うより倉庫、倉庫と言うより美術準備室
のような煩雑で埃っぽい部屋になっていました。

父は「出来たらカーテンも付け直して欲しいんだ。整理は・・・今日一日で終わるよな?」と抱負を述べました。
どう見積もっても3日くらい滞在しないと終わらない気がしましたし、家の方の片付けもあるとしたら・・・・

とにかく取り掛からないと!!っと気合いを入れて片付け開始です。
大小雑多なキャンバスの山、額縁の山、画材の山、本の山、ゴミ(紙材)?の山・・・・写真の山・・・
それらを「要る?要らない?」と父に聞きつつ捨てたり、棚&収納庫に入れたり、床を拭いたり棚を拭いたり・・・
掃除機をかけたり・・・

元気とは言え、数年前に大病をした高齢の父、蒸し風呂の様な部屋に長居もさせられないので、
断捨離の判断は任せてもらい、一人で整理を続けました。

夕刻。部屋の1/3くらい片付いたでしょうか。アトリエの外には、八千代市不燃ごみ・八千代市可燃ごみ・資源ごみ
の各ゴミがたくさん
積まれました。

「今日はそろそろ終わりにしなさい。」と家の方から父に呼ばれました。
「はぁーい」
取りあえず今日は終わることにしました。

夕食を食べて、父が就寝すると、次は「母の日頃のストレス(愚痴)を聞く時間」です。
話の内訳は、大半が父の事、あと残りが兄の事。いづれも私が解決出来るような事柄ではないですが、
娘の仕事としてふんふんと聞き役に徹しました。

全部吐ききったのか、母はやっと「さぁ~・・・もう寝ようか。」と言い、私も同意をして就寝。


「今秋も柿を送るからね」と言われました。
私の誕生記念に庭に植えたこの木も老木になりました。

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