新型コロナウィルス問題に乗じて、日本では中国人に対する差別が顕在化している。職場でも平気で差別を垂れ流す連中がいてうんざりする。元々あまり良く思っていなかった人たちなのでああやっぱりな、って感じではあったけど。
この話を両親にしたら「なんでそんなに忌々しそうに言うの」と怒られた。差別に対して怒りをおぼえたとき冷静でいられないのなんか当たり前じゃないか。まあ両親も中国人ヘイトに疑問を感じていないようだし、職場の人たちと同類なんだろう。
更に、世の中には考え方の違いというものがある、それを認めず上手くやっていこうとしないお前もそういう人たちを差別していると言われた。最近右寄りの考えになってきているなとは感じていたけどまさかここまでアレな人たちだとは思わなかったから驚いたし、今までもいろいろあったけど改めて失望させられた。
まず差別なんて考え方の違いとして片づけていいもんじゃないし、「差別している人を差別」って、松本人志かよ。差別って言葉の意味も差別はいけない理由もものすごく曲解している。「中国人お断り」の張り紙をしたラーメン屋がTwitterで話題になってたけど、こういうのにも深い理解を示しそうだな私の両親。
で、差別する人の気持ちに理解を示し認めてあげるのも「多様性」なんだとか。で、私の狭量さは同性愛者をそれだけで排除する人らと一緒なんだとか。すごい。すごすぎる。差別を垂れ流すという明らかに悪いことと同性が恋愛や性愛の対象だという何も悪くないこととを同列に語っちゃうんだ。
あと、「そういう態度でいたらお前は周りの人から排除される。そうされて当然、されたとしてもお前が悪い」と。
そう言えば、両親特に母親は私が理不尽なことに対する怒りで感情的になることにものすごく否定的だった。「そうやって目を三角にするな、見苦しい」と何度も言われてきた。
まあ、こういうのが典型的な普通の日本人なのかもしれない。重い社会問題を扱った映画などに対する誉め言葉で「声高に主張することなく~」ってのを何回か見たけど、これつまり「声高に主張するのは駄目」ってことだもんね。こういう考えが蔓延してるから「冷笑系」ってのも生まれてくるんだろう。
もちろん、こんなことを書いている自分も差別と無縁の存在ではない。気づかないうちに何かを踏んでいることはあるだろう。多分これは普段差別に反対している人も含め誰にでも言えることだと思うけど。
そういう失敗をしてしまったときに大事になってくるのは自分の差別心と向き合う態度だと思う。「自分が差別なんてするはずがない」なんて思い上がらずに、差別の指摘には耳を傾けて間違いを反省し修正していくこと。もちろん「差別者に対する差別」なんて筋の通らない指摘は相手にせずに。
それから、差別は誰でもするものだとは言え、あからさまな差別には気づいて反対できる程度の感性はもっと多くの人に共有されていてもいいんじゃないかと思う。今回のコロナウィルスに乗じた中国人ヘイトはあからさまな差別の典型的なものの一つだと思うが、私の周りの人たちはそれにすら疑問を持たないどころか積極的に加担している。
これは私の周りの人たちだけじゃなく大半の日本人がそうかもしれない。公共の電波でも毎日のように差別扇動しているし過去の植民地支配の反省もない。本当に嫌な国だと思う。