敬語が使われるのは日本語の場面においてそれぞれである。日本語の言語現象に敬語を見るのは話し言葉、書き言葉のいずれにおいてもその使い分けがあることを知る。敬語という語法を日本語の現代語の現象に当てはめた尊敬、謙譲、丁寧の分類は変えられるべきである。時代的な社会構造には絶対の敬語、相対化した貴族の敬語、武家と臣下謙譲、公卿と民衆の丁寧、そして庶民に浸透する敬語が文法になったときに、身分における謙譲の区分を意味内容ともに捉えなおすべきであった。鎖された文化の果てに区別をしていた時代から市民の説明ににふさわしくないからであるが、それは1900年代の半ばまで社会的場面に当然のことととして謙譲そのものが機能していたのであるからその考え方を変えるのは難しい。謙譲をそのままに尊敬に対比して用い得るのは日本の時代において大まかなところで豪族貴族の世から封建制までであろうか。しかし近代化を遂げて身分制には平等が実現したかのようでありながら王族貴族の上層は形を変えて存続したために言語の現象に明らかに身分差別が存在する。 . . . 本文を読む
公共工事 異変あり 続く入札不調 市民生活影響 20131229中日新聞トップ記事、見出しである。リードには、好況工事の入札が不調になるケースが各地で相次いでいる、とある。どうしてかと言うと、続けて、近年の不況で建設労働者が減る半面、東日本のの復興業者や名古屋駅前の三棟の高層ビル建設などで需要が急に増え、人件費が高騰、自治体が設定した価格では業者が行為を請け負えなくなっているためだ、と見える。左側のトップ記事には、「再生エネ転換を」「TPP影響怖い」 と見出しにして、首相夫人・昭江さんに聞く とある。また、中ほどには、桜花高校3冠 女子バスケ 東海対決制す とある。また下段には、日本史 高校必修化も 英語小3から 指導要領16年度改定へ とある。その左には、韓国、対日外交凍結へ とある。 . . . 本文を読む
さかしらにことだてるものではないが歴史認識という語の使いようが違うのではないかと思い続ける。歴史に対する認識のありようと言うことで日本国内でのその認識は、第2次世界大戦に至る過程と大戦そのものをどのように認識するのか、という問題ともとらえられて、知恵蔵2013にある解説のように、歴史認識の具体的問題といえる教科書問題と靖国神社参拝問題になってしまっている、なってしまっているというのは、それが繰り返されるようになったので、ともすればいまさらに歴史事件を認識するといった時間が戻らないにもかかわらずそれを議論をするはめになっている。だから正しく認識せよと言われ続けるのだろうし、言う方も可逆的な結果にならないよう要求することになる。はたして歴史認識とはそういう問題であろうかと考えて、ふと気づいたことがあって、それは文明の生態史観をさぐってその学説から文明史における歴史認識の議論があることにたどり着いて、そういうことであったかと思った。トインビーによれば歴史認識はセオリーとしてある。 . . . 本文を読む
追い込む日本を、追い込まれる日本と感じるか。アベノミクスをもって景気浮揚策を取るとそのかじ取りは日本の進路を孤立へとうながした。内外に日本を追い込む状況が生まれている。為政者による日本の進むべき道はきわまりつつある。分岐は消費増税であったか。五輪招致が引き起こす顛末は象徴的である。福島の原発事故処理は原発の売込み行脚を行う安全神話の復活へと動き出し、特定秘密保護法は思わぬ議論を巻き起こし、踏み切った靖国参拝はバッシングを受けることになった。選挙の支持を基盤に遷り変わり、国民は後戻りができなくなってきたことがわかっているだろうか。端を発したのは領土問題、尖閣諸島の国有化の結果は何を意味していたか、近隣諸国との四周の海辺はつねに防衛だけではない。沖縄基地の攻撃のための要塞であることを思い知る。辺野古の埋め立てはそのためにあるに違いない。 . . . 本文を読む