慰霊の木刀(回天館(天狗党等の資料館です) 松本町13-13)
幕末の争乱で、天狗党が京にのぼろうとした際、群馬県の下仁田戦争で、野村丑之助という少年武士が重傷を負い、本人の希望でこの地に葬られたそうです。平成6年に墓の後方に植えられた杉が伐採されるということを知った、野村を祀っている回天神社は、慰霊のためにその木で木刀を作り、回天神社脇にある回天館に安置したそうです。
水高剣道木刀(水高資料展示室(第一中学校) 東原3-1-1)
第一中学校にある水高資料展示室に展示された、剣道部の防具と木刀だそうです。昭和20年3月に道場から許可のもとに持ち出されていたために、戦災に遭わないで残された水高の遺物だそうです。
銭谷稲生神社(浜田1-6-33)
大正3年に、刀身を描いた額を、駒菊連が奉納したようです。刀身だけを描いたのにはどういう意味があるのでしょう。
仏性寺(栗崎町1984)
文殊菩薩は知恵を象徴しているそうです。その知恵で煩悩を断ちきるのを剣にたとえて、仏像に持たせたようです。現在なら多分、文殊菩薩と剣は連想されないのでは…。
成就院墓地(大塚町1529)
不動尊が右手に持つ刀は、利剣とか智剣、降魔の三鈷剣とかいわれるそうです。魔を退散させ、煩悩や因縁を断つと説明されているようですが、文殊菩薩とそう違ったものではないような感じです。でも、こわもての不動なら刀を持っていてもあまり違和感はないような気はします。
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