ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の花押(かおう)

2024-04-20 21:34:55 | 水戸

 文書の末尾に本人を確証させるために書かれる図案化した署名だそうです。平安末期から使われるようになったそうです。花押は、花のように美しい書名(押)という意味だそうです。判、書判、押字(おうじ)などともいわれ、印章のようなものもあったそうです。以下はどれも、水戸市立博物館で見たものです。

 

江戸重通(しげみち 江戸氏展)
 江戸氏最後の水戸城主で、佐竹氏によって水戸城は攻め落とされたそうです。重通は、正室の実家である下総結城氏を頼って落ち延びたそうです。「通」は江戸氏が代々名前に使用した字で、「重」は佐竹義重からもらった字のようです。花押を見ていると、右に丸か四角のような書き方が多くあって、面白いなと思いました。

 

佐竹義宣(よしのぶ 江戸氏展)
 戦国時代の最後に水戸城主となった、秀吉の臣として常陸54万石を領した武将だそうです。佐竹氏は、常陸太田を根拠として、平安時代以来400年間常陸を治めたそうです。新羅三郎と言われた源義光の流れだそうで、「義」の字を名前によく使っているようです。

 

徳川頼房(頼房展)
 水戸徳川家初代藩主で、水戸藩の基礎を築いた、徳川御三家のひとつで独特な地位をもった大名のようです。威公という諱(いみな)がつけられたそうです。

 

徳川光圀(1F常設展)
 水戸徳川家2代藩主で、義公という諱がつけられた、英明な人物だったようです。戦国から平和な時代への過渡期を治めた人だったようですが、水戸在住の重臣との軋轢がはじまった時期の水戸藩主でもあったようです。花押は、私には鳥のように見えて、そうとう個性的なように見えました。

 

徳川綱條(つなえだ 1F常設展)
 水戸徳川家3代藩主だそうです。光圀は、高松藩主となって水戸を出た光圀の兄・頼重の子供・綱條を、自身の養子として次の藩主としたそうです。藩の財政が厳しくなり、「宝永の新法」という改革をおこなったものの挫折したそうです。「條」は、みそぎに使う木の枝がもとの意味だそうで、「えだ」と読むようです。

 

花押藪(かおうそう 1F常設展)
 光圀が丸山活堂(可澄(よしずみ))に編纂させた、正続14巻という花押を集めた書だそうです。大日本史編纂の副産物としてできたものだそうですが、1700人近い花押が集められているそうで、文書真偽の確認や事典などとして活用されたのでしょう。

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水戸で4月に見た白い木の花(1)

2024-04-19 21:05:50 | 水戸

ヒサカキ(偕楽園 常盤町1-3-3)
 大言海では、実栄樹(みさかき)が変化したとし、牧野新日本植物図鑑では、姫サカキがなまってできたとしているそうです。サカキに似ているので神社でよく見られるようですが、びっしりと小さな白い花が下を向いて咲いています。モッコク科だそうです。(撮影 3/31)

 

ユキヤナギ(茨城県立図書館 三の丸1-5-38)
 しだれて柳のような姿になり、小さな白い花を雪のようにたくさん咲かせる、日本原産のバラ科の植物だそうです。コゴメバナともいわれるそうです。(撮影 4/12)

 

ニワトコ(渡里湧水群 渡里町)
 花のあと、は赤くなるそうです。若葉は食用となり、花、葉、茎は民間薬として使われるそうです。打撲や利尿などに効果があるそうです。ガマズミ科だそうです。(撮影 4/13)

 

ドウダンツツジ(渡里町)
 ドウダン(灯台)は、結び灯台という昔の灯台(室内照明)の三脚足に枝振りが似ているので付けられた名前のようです。びっしりと咲くツツジ科の白い花はきれいです。(撮影 4/13)

 

リキュウバイ(白梅)
 中国原産で、明治末期に移入されたのバラ科植物だそうです。バイカシモツケともいわれるそうですが、どちらもウメの花が連想されているようです。庭木としてまれに見ることがあります。(撮影 4/19)

水戸で5月に見た白い木の花
水戸で6月に見た白い木の花
水戸で7月に見た白い木の花
水戸で8月に見た白い木の花

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水戸の季節を楽しむ和菓子(1)

2024-04-18 21:35:11 | 水戸

 季節をそれぞれに楽しめるたくさんの和菓子が水戸にはあるようです。その一部をご紹介します。

 

早春(はやしや 南町3-5-17)
 水戸には梅をかたどったいろいろな形をした練り切りの和菓子があるようですが、これもその一つのようです。

 

春(にいつま 堀町2160-5)
 今ならではの、菜の花という和菓子です。色も形もいい感じです。

 

梅雨(五條製菓 姫子1-807-1)
 紫陽花(アジサイ)という和菓子だそうです。なぜか私はこの姿が大好きです。

 

夏(五條製菓 姫子1-807-1)
 水という名前のようですが、水紋か渦をイメージした和菓子のようです。茶室のつくばいを連想しました。

 

秋(木村屋本店 南町1-2-21)
 玉菊という名前のようです。菊が名前についた練り菓子は何種類もあるようですが、秋はもみじ葉の練り菓子もあるようです。

 

冬(五條製菓 姫子1-807-1)
 洋風なクリスマスを和菓子でつくったようです。赤鼻のトナカイやサンタの帽子もあるようです。

水戸梅お菓子プロジェクト(4)

 

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ぶらっと歩きの風景in水戸(2-47)

2024-04-17 21:31:09 | 水戸

満開のユキヤナギ(偕楽園南崖下 常磐町)
 小さな花が枝一杯に咲くユキヤナギは、たくさん並ぶと香りとともに、いかにも春らしい雰囲気も醸しだしているようです。多くの人が花の中を散策しているようでした。偕楽園のある高台から見下ろした風景です。(撮影 3/31)

 

ツバキとハリギリ(偕楽園 常盤町1-3-3)
 椿の枝が、隣のハリギリの肩に腕をかけるような姿でのびていました。(撮影 3/31)

 

カエデの若葉(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 参道にはえているカエデの若葉が、緑(写真中央奥)、赤(写真右)、黄(写真左)の三色に染まっていました。いずれも若々しいいろどりで、たいへんきれいでした。(撮影 4/14)

 

ラーメン(ラーメン・餃子 250 栄町1-1-1)
 今話題になっているらしい250円ラーメンです。醤油味のストレート麺で、海苔もチャーシューも乗った、さっぱりしたラーメンでした。客が切れ目なくおとずれているようでした。(撮影 4/14)

 

キックボクシング(ユードムアリーナ 南町自由広場 南町3-6)
 南町自由広場がにぎやかなので寄ってみると、無料観戦できるアマチュアキックボクシングらしい試合がおこなわれていました。(撮影 4/14)

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-46)

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水戸・偕楽園の話(2)

2024-04-16 21:18:35 | 水戸

 南崖の途中に斉昭が選定した水戸八景のうち、自身の書になる僊湖暮雪碑(せんこぼせつひ)がありますが、これははじめ、天保5年(1834)に見晴広場あたりに建てられたそうです。斉昭は偕楽園を整備するとき、千波湖の景色を重視して、それまであった家屋を移設したり、防風林を伐採したりするとともに、この碑も今の地へ移したそうです。偕楽園の完成は天保13年(1842)です。広場にはツツジ、ハギ、ススキなどが配置されたそうですが、その一方、戦いが起こった際の、兵をそろえる場としても考えられていたそうです。写真は南崖斜面途中にある僊湖暮雪碑です。

 

 偕楽園には、かつて楽焼きの窯があったそうで、斉昭は抹茶茶碗などを焼いたそうで、現存するものもあるそうです。贈答や何陋庵の茶会などに使ったのでしょう。正門好文亭の中間あたり、梅の苗木を育てているあたりのようです。写真は一昨年撮った後継木育成地です。

 

 今の鶴鳴橋(たづなきばし)の近くの水田には、タンチョウヅル、マナヅル、ナベヅルという3種類のツルが放鳥されたそうですが、農民はツルに苗を踏まれて大変だったそうです。「ツルふみ田」という名前が今に伝わっているそうです。そのあたりには藤棚もつくられていたそうですが、絵図には「鶴之休ミ所」と書いてあるそうです。写真は好文亭四季模様之図です。

 

 斉昭は桜川を南崖下に移して、好文亭南崖下にある南門あたりまで舟で行けるようにしたそうです。その桜川と沢渡川(さわたりがわ)の合流点付近には、宇治のホタルを放ったそうです。うまく繁殖して楽しめたのでしょうか。

 

 もうほぼ散ったと思いますが、偕楽園見晴広場の一角に、古木の二季サクラがあります。春秋の2度咲くそうですが、十月の花つきが多いために、十月桜ともいわれるそうです。このサクラは、旧藩士・久米某の屋敷にあったものを移植したのだそうです。写真は3月31日に撮りました。

水戸・偕楽園の話(1)

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