卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

誰もいなくなった部屋

2015年05月19日 09時54分46秒 | 日記・エッセイ・コラム

 そのメールが入ってきた時は、「とうとう決まったのね!」と、Kが ゛ ぽつり ゛と言いました。

姪っ子夫婦・一家5人家族の転勤先は、九州とのことでした。日本を代表するメーカーで、各地に工場を持っている会社なので、以前より「そろそろ可能性は、あるかも…!」と、姪のA子より、話は聞いていました。「サラリーマンの転勤は、上級階への勲章だよ!」と、一家で遊びに来てくれた時は、酔いも混じって、軽口をAの彼のKちゃん(結婚前から名字で呼んでいる)へ、よく言っていました。

転勤が決まってから、早速、一家で挨拶に来てくれ、焼肉でお別れ会をしました。久しぶりに会う子供達は、それぞれ一回り大人になっていました。近くの公園で、屈託無く、遊び回った1時間弱は、良い思い出になりました。

 

 

5月15日午前11時過ぎ、飛行機の時間は聞いていませんでしたが、「9時に引っ越し屋さんが来る」と聞いていましたので、゛ 皆で、昼でも一緒に出来るかな…! ゛と思い、その時間に船橋の社宅に、着きました。

8分通り作業は終わっており、「作業に邪魔にならないように、子供達の相手をしよう…!」との思惑も、余り貢献できませんでした。

「1時半の電車に乗ります!」と、A子より聞き、「余り時間も無いのか…!」と、二人して、顔を見合わせました。

子供達とA子が、隣近所へ挨拶をしているようです。長男の声に混じってA子や社宅の「ママ友」の声が、聞こえてきます。Kちゃんが業者と、手仕舞いの打ち合わせをしています。

誰もいなくなった4階の部屋より、晴天の外を見回しました。「もうここにも、来られないんだな…!」と、思いました。

 

 

転勤が決まったと時、Kは沈んだ様子で「寂しい!」…と、独り言のように、私に言いました。私達の隣近所には、「孫夫婦一家」と言っていましたし、Kは、自宅に来たA子へ色々料理の手解きをしているようでした。5年の間には、危急の用事で駆けつける事もありました。私達が、A子とK君一家より受けた恩恵は、計り知れなく、A&K・二人の人生の中では、もう二度と無いかもしれません。

 

 

( 誰もいなくなった部屋 )

 

 

家族・みんなと部屋を後にする前に、私達は、早めに失礼しました。

A子とKちゃんが揃って、一冊のアルバムをKに差し出し、゛ お別れとお礼のことば ゛を、私達に述べてくれました。

 

 

( 私達が頂いたアルバムの最終項の言葉 )

 

 

アルバムには、5年間の私達との関わり合いの事が、写真にコメント付きでありました。

 

A子・Kちゃん、S君・K君・E君、お元気で! 5年間、ありがとう!!


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