いまの自分じゃない本当の自分なんて、
いまのここじゃない本当の居場所なんて、
探す必要はどこにもないことに気づいていなかったんだ。
(『神様からひと言』萩原浩著 光文社)
んっ!
ちょっと下記を連想した。
一人っ子の主人公「僕」が「自分にもし兄弟がいたら?」
と問われた際の答え。
「ここにいる僕はずっと兄弟なしで育った僕なんだし、
もし兄弟がいたとしたら、僕は今と違う僕になっていたはずだし、
だからここに今いるこの僕が兄弟がいたらって思うことは、
自然に反していると思う」
(『国境の南、太陽の西』村上春樹著 講談社)
今いる僕と、今とは違った環境にいる僕とでは
1つのことに対して思う内容も変ってくるだろう。
上の会話は確かに正しい。
では「もし・・・」と考えることは意味のないことかというと
必ずしもそうではない。
「もし・・・」と考えるのは
未来を展望してこれからの行動を決定したりだとか、
人を思いやったりする時には、絶対に必要である。
へんてこなことを言う人に限って
想像力がないものだ。
要は case by case。
曖昧にする時に使う言葉。
これ日本語じゃないかと思いますが。
いまのここじゃない本当の居場所なんて、
探す必要はどこにもないことに気づいていなかったんだ。
(『神様からひと言』萩原浩著 光文社)
んっ!
ちょっと下記を連想した。
一人っ子の主人公「僕」が「自分にもし兄弟がいたら?」
と問われた際の答え。
「ここにいる僕はずっと兄弟なしで育った僕なんだし、
もし兄弟がいたとしたら、僕は今と違う僕になっていたはずだし、
だからここに今いるこの僕が兄弟がいたらって思うことは、
自然に反していると思う」
(『国境の南、太陽の西』村上春樹著 講談社)
今いる僕と、今とは違った環境にいる僕とでは
1つのことに対して思う内容も変ってくるだろう。
上の会話は確かに正しい。
では「もし・・・」と考えることは意味のないことかというと
必ずしもそうではない。
「もし・・・」と考えるのは
未来を展望してこれからの行動を決定したりだとか、
人を思いやったりする時には、絶対に必要である。
へんてこなことを言う人に限って
想像力がないものだ。
要は case by case。
曖昧にする時に使う言葉。
これ日本語じゃないかと思いますが。