久しぶりに『発作的座談会』(角川書店)を読んでいると、
「小説は結婚式である」の項目で木村晋介がこう言っていた。
中学生のとき、アガサ・クリスティの
『そして誰もいなくなった』を読んだんだけど、
あれ、よくわからなかったなあ。
(中略)
筋がよくわからないんだ。
最後まで読んでも犯人が誰かわからない。
んー私も犯人忘れたなぁ。
全員死んでしまったことは覚えているけれど
どんな仕掛けだったか・・・
そこで『そして誰もいなくなった』(早川書房)を
読み返した。
見事というしかない。
登場人物10人が全員いなくなっても犯人は分からなかった。
最後の告白書を読むまでは。
そこでようやく犯人は分かったが
この犯人もそれ以外の9人と同じように
騙されてこの島へ来て、
いつ殺される番がくるかと怯えていた記述が
あったんだったんじゃないか・・・
だとしたらストーリーが破綻してくるんじゃないか・・・
もう一度その犯人が島へ来ることになったくだりだけ
読み直してみた。
正直驚いた。
この人が犯人だと思って読んでみると、
自分の想像力を補えば
なんら破綻はなかったからだ。
その文章は
想像によってどちらにでもとれる文章、
つまり
この人が犯人ではないという決定的なことが
書かれていない文章なのだ。
こんなこと前に読んだときは気づかなかった。
犯人が分かって「ふうん」って終わっただけだった。
こういう書き方があったと知れて
再読した甲斐があったというものだ。
「小説は結婚式である」の項目で木村晋介がこう言っていた。
中学生のとき、アガサ・クリスティの
『そして誰もいなくなった』を読んだんだけど、
あれ、よくわからなかったなあ。
(中略)
筋がよくわからないんだ。
最後まで読んでも犯人が誰かわからない。
んー私も犯人忘れたなぁ。
全員死んでしまったことは覚えているけれど
どんな仕掛けだったか・・・
そこで『そして誰もいなくなった』(早川書房)を
読み返した。
見事というしかない。
登場人物10人が全員いなくなっても犯人は分からなかった。
最後の告白書を読むまでは。
そこでようやく犯人は分かったが
この犯人もそれ以外の9人と同じように
騙されてこの島へ来て、
いつ殺される番がくるかと怯えていた記述が
あったんだったんじゃないか・・・
だとしたらストーリーが破綻してくるんじゃないか・・・
もう一度その犯人が島へ来ることになったくだりだけ
読み直してみた。
正直驚いた。
この人が犯人だと思って読んでみると、
自分の想像力を補えば
なんら破綻はなかったからだ。
その文章は
想像によってどちらにでもとれる文章、
つまり
この人が犯人ではないという決定的なことが
書かれていない文章なのだ。
こんなこと前に読んだときは気づかなかった。
犯人が分かって「ふうん」って終わっただけだった。
こういう書き方があったと知れて
再読した甲斐があったというものだ。