日本は、ゴールデン ウィークだね。
シドニーの日曜日は、五月の初めの日らしく、朝はやや雨がぱらついたが、今 こうして書いているこの時間 (シドニー時間で、午後1時半)僕は、シドニーハーバーを見下ろしながら、久々に晴れた空を満喫している。
なにもかも わすれて・・・
そうして 自分のバランスを大事にしたいと考えたんだ。
風は微風
南東から、さわやかに 乾いた風が 水面に白い馬を浮かび上がらせる。
潮騒と、ヨットの帆が風を受けて膨らむ音がする以外は、なにもない。
空気を肺いっぱいに 吸い込んでみる。
のどが渇いた。
薄く切ったレモンの浮かんだ 冷たい水の入ったグラスを持った。
グラスの表面には 水滴がついており、中には アイスキューブが浮いている。
飲めば、どれほど気持ち良いだろうと想像してみた。が、そうすることをしないで、顔の前に、グラスを持ち上げた。
そして、わざとあごの下から喉に向けて、ゆっくりとその水を垂らしてみた。
水は、あごのラインをたどって、夏に焼けた肌を喉から伝わり 十分に冷えた感触を与えながら、胸のほうへと シャツを伝わって広がっていった。
冷たい感覚が胸に伝わると、両方の腕をぎゅっと縮めてみる。胸の筋肉が、その動きを受けて膨れ上がり、水にしみた白いシャツは、真ん中に集まった。
続いてその水の入ったグラスを置いて、シャツの真ん中を引っ張り、
「濡れちゃった」と、言って笑ってみた。
ヘリコプターが、低空飛行を繰り返して近づいてくる。
空には、白い雲の切れ端が 去っていく夏を惜しむように、浮かんでいる。
もうすぐ 南半球には冬が近づいている。
海に向いたテラスで、ラップトップを開いて こうして景色を描いていると、生きていることは、悪いことばかりではないような気がしてくる。
いつの間にか、自分が誰なのかを忘れてしまっていたのかもしれない。
ノースヘッド と サウスヘッド (シドニー湾の入り口)に打ち上げる波しぶきを見ていると、若い頃 夢中になったサーフィンが懐かしい。
時間は、どんどんと過ぎていくけれど、もしかしたら、もうここで、最後の瞬間に来たのかもしれないな。
などと、想像してみた。
未来というのは、もうなくなってしまっていて、今は、地表を離れ 飛び立つ瞬間に向かって、残りの滑走をしている飛行機に乗っているかのような気がする。
それならば、それで 楽しめばいい。
友人のブライアンが、イーヴル(悪党)と名付けた もうすでに、年をとって よぼよぼで、歯のなくなってしまったポメラニアンを、ひざの下において、コーヒーを飲んでいる。
ポメラニアンは、その丸い目をきょとんとさせて、ブライアンからもらうパンの切れくずを、見上げた姿勢で待っている。
多分、こいつには、地震も放射能も関係ないんだろうな。
そう思うと、僕は、まったく違う岸辺に座っていて、そこで、自分の人生を生きているのだということが、ふと、現実に感じられて、ああ、そうか・・・それだけの ことなのか・・・と思ったりもする。
海はつながっているのだし、風もきっとどこかでつながっているのには違いないのに、あまりにも爽やかな空気は、どんどんと、現実をはなれ、僕を 遠く どこかのかなたへ飛ばしてしまうような錯覚さえ陥らせる。
おそらく すでに地球の反対側にいるというだけで、遠くへ飛ばされているには 違いないのだけれどね。
時々 こんな僕でも思うことがある。
なんで、オーストラリアに30年近くも住んでいるわけ?
夢を見ているような そんな気持ちで あっという間に30年経ってしまったような気もするし、そうでも なかったような気もするけれど・・・
シドニーの日曜日は、五月の初めの日らしく、朝はやや雨がぱらついたが、今 こうして書いているこの時間 (シドニー時間で、午後1時半)僕は、シドニーハーバーを見下ろしながら、久々に晴れた空を満喫している。
なにもかも わすれて・・・
そうして 自分のバランスを大事にしたいと考えたんだ。
風は微風
南東から、さわやかに 乾いた風が 水面に白い馬を浮かび上がらせる。
潮騒と、ヨットの帆が風を受けて膨らむ音がする以外は、なにもない。
空気を肺いっぱいに 吸い込んでみる。
のどが渇いた。
薄く切ったレモンの浮かんだ 冷たい水の入ったグラスを持った。
グラスの表面には 水滴がついており、中には アイスキューブが浮いている。
飲めば、どれほど気持ち良いだろうと想像してみた。が、そうすることをしないで、顔の前に、グラスを持ち上げた。
そして、わざとあごの下から喉に向けて、ゆっくりとその水を垂らしてみた。
水は、あごのラインをたどって、夏に焼けた肌を喉から伝わり 十分に冷えた感触を与えながら、胸のほうへと シャツを伝わって広がっていった。
冷たい感覚が胸に伝わると、両方の腕をぎゅっと縮めてみる。胸の筋肉が、その動きを受けて膨れ上がり、水にしみた白いシャツは、真ん中に集まった。
続いてその水の入ったグラスを置いて、シャツの真ん中を引っ張り、
「濡れちゃった」と、言って笑ってみた。
ヘリコプターが、低空飛行を繰り返して近づいてくる。
空には、白い雲の切れ端が 去っていく夏を惜しむように、浮かんでいる。
もうすぐ 南半球には冬が近づいている。
海に向いたテラスで、ラップトップを開いて こうして景色を描いていると、生きていることは、悪いことばかりではないような気がしてくる。
いつの間にか、自分が誰なのかを忘れてしまっていたのかもしれない。
ノースヘッド と サウスヘッド (シドニー湾の入り口)に打ち上げる波しぶきを見ていると、若い頃 夢中になったサーフィンが懐かしい。
時間は、どんどんと過ぎていくけれど、もしかしたら、もうここで、最後の瞬間に来たのかもしれないな。
などと、想像してみた。
未来というのは、もうなくなってしまっていて、今は、地表を離れ 飛び立つ瞬間に向かって、残りの滑走をしている飛行機に乗っているかのような気がする。
それならば、それで 楽しめばいい。
友人のブライアンが、イーヴル(悪党)と名付けた もうすでに、年をとって よぼよぼで、歯のなくなってしまったポメラニアンを、ひざの下において、コーヒーを飲んでいる。
ポメラニアンは、その丸い目をきょとんとさせて、ブライアンからもらうパンの切れくずを、見上げた姿勢で待っている。
多分、こいつには、地震も放射能も関係ないんだろうな。
そう思うと、僕は、まったく違う岸辺に座っていて、そこで、自分の人生を生きているのだということが、ふと、現実に感じられて、ああ、そうか・・・それだけの ことなのか・・・と思ったりもする。
海はつながっているのだし、風もきっとどこかでつながっているのには違いないのに、あまりにも爽やかな空気は、どんどんと、現実をはなれ、僕を 遠く どこかのかなたへ飛ばしてしまうような錯覚さえ陥らせる。
おそらく すでに地球の反対側にいるというだけで、遠くへ飛ばされているには 違いないのだけれどね。
時々 こんな僕でも思うことがある。
なんで、オーストラリアに30年近くも住んでいるわけ?
夢を見ているような そんな気持ちで あっという間に30年経ってしまったような気もするし、そうでも なかったような気もするけれど・・・