Sydney Yajima


GSM会員希望者は下記のURLへお進みください。
http://www.gsm.jp/

棄民8

2011-05-18 10:14:44 | Weblog
私は、今 とても怒っている。
またもや・・・
そう、またもや、で、ある。
隠蔽が露になり、東電がメルトダウンを認めた。
それも2ヶ月も経ってから である。
はじめから 分かっていたことを、そのときに、すぐに発表しない。

これは、棄民である。
パニックをさせないように 配慮した。
などという言葉は、たとえば、駅のラッシュアワーで、列車に乗り込むときに、使う言葉であって、原子力発電所がメルトダウンを起こし、そのうえ、全世界に向けて水蒸気爆発、もしくは水素爆発 の映像が発信されて、放射能が巻き散っている段階の3月に、使うべき言葉ではない。
しかし、東電は、ここでも、そういうことをした。

社会的な責任とは、どういうものだろう。
ここでは、多くの犠牲者と被害がでることを想定し、それを最小限におさえる 予防的な処置・・・それも もっとも基本的な、「はやく 逃げろ」という言葉、さえなかった。
それで、どうしたかというと、ただ、放置したのである。

放置された人々の多くは、津波を受けてボロボロの家屋で 辛うじて生き延びた人々であり、子供であり、農家であり、あるいは、老人たちであった。

その人たちに、ある日、政府は、退避命令というものを出す。
それも、十分に時間を与えず、いきなりであった。
さらには、退避先もきちんとした受け入れ態勢も考える余裕すらなく、逃げるほうも着の身着のままで、家畜、ペットなどは、そのまま、とりあえず避難させられた。
避難させられてから、帰れないということが 分かった人もいるという。

しかも、もっとも大きい問題は、この避難させられた人たちは すでに被爆したあとだったということだ。
つまり、被爆の危険があるときは、なにも教えられず そして被爆をした後、いきなり、退避命令を受けて、そして、町全体、30キロという範囲は、ゴーストタウンになった。

今後、同じような悲劇が日本中で繰り返されるかもしれない。
なぜなら、体質、権力、既得、勢力図、金 などそういうものの 動き、流れ などは、バブルが弾けようが、たとえ震災が起きようが、自民党が民主党に代わろうが、根っこが変わらないからである。

涙ぐましい住民の 叫びも嘆きも、それらは、その人たちにとっては、子守唄に聞こえるのであろう。
ほんの少しでも、良心のかけらがあれば、違った行動 違った対策をとるはずだ。

今後、我々に待っているのは、増税と高い電気料金と、被災地の復興という重荷と、馬鹿な政府に既存勢力 そして、官僚の天下りとそれをまた受け入れる新しい なんとか機構 なんとか協会 なんとか法人 である。

そして最近になって、新たな基準値を超えるお茶、牧草、などなど、かなり広範囲にわたって出始めた。
なんと、小田原のお茶まで出荷停止である。
ということは、関東圏はすっぽり 放射能汚染されていたことになる。

一体、どこが、風評被害だったと政府は言うつもりなのだろう。
風評というのは、ありもしないことを、あるかのように言うことだが、実際に起こっていることを、起こっていると言う事は 風評ではないのである。

福島の首飾りという言葉がある。
放射能に冒された子供たちが、あと3年後ぐらいに、ホルモンの異常をきたして甲状腺ガンにかかり、首飾りのようになってしまうということから、できた言葉らしい。
この言葉自体は、とても嫌いだ。
おぞましい。
だが、そのおぞましいことをしたのは、東電であり、政府であり、日本の大人たちであることを、しっかり見据えておくべきだ。

棄民8

2011-05-18 10:14:44 | Weblog
私は、今 とても怒っている。
またもや・・・
そう、またもや、で、ある。
隠蔽が露になり、東電がメルトダウンを認めた。
それも2ヶ月も経ってから である。
はじめから 分かっていたことを、そのときに、すぐに発表しない。

これは、棄民である。
パニックをさせないように 配慮した。
などという言葉は、たとえば、駅のラッシュアワーで、列車に乗り込むときに、使う言葉であって、原子力発電所がメルトダウンを起こし、そのうえ、全世界に向けて水蒸気爆発、もしくは水素爆発 の映像が発信されて、放射能が巻き散っている段階の3月に、使うべき言葉ではない。
しかし、東電は、ここでも、そういうことをした。

社会的な責任とは、どういうものだろう。
ここでは、多くの犠牲者と被害がでることを想定し、それを最小限におさえる 予防的な処置・・・それも もっとも基本的な、「はやく 逃げろ」という言葉、さえなかった。
それで、どうしたかというと、ただ、放置したのである。

放置された人々の多くは、津波を受けてボロボロの家屋で 辛うじて生き延びた人々であり、子供であり、農家であり、あるいは、老人たちであった。

その人たちに、ある日、政府は、退避命令というものを出す。
それも、十分に時間を与えず、いきなりであった。
さらには、退避先もきちんとした受け入れ態勢も考える余裕すらなく、逃げるほうも着の身着のままで、家畜、ペットなどは、そのまま、とりあえず避難させられた。
避難させられてから、帰れないということが 分かった人もいるという。

しかも、もっとも大きい問題は、この避難させられた人たちは すでに被爆したあとだったということだ。
つまり、被爆の危険があるときは、なにも教えられず そして被爆をした後、いきなり、退避命令を受けて、そして、町全体、30キロという範囲は、ゴーストタウンになった。

今後、同じような悲劇が日本中で繰り返されるかもしれない。
なぜなら、体質、権力、既得、勢力図、金 などそういうものの 動き、流れ などは、バブルが弾けようが、たとえ震災が起きようが、自民党が民主党に代わろうが、根っこが変わらないからである。

涙ぐましい住民の 叫びも嘆きも、それらは、その人たちにとっては、子守唄に聞こえるのであろう。
ほんの少しでも、良心のかけらがあれば、違った行動 違った対策をとるはずだ。

今後、我々に待っているのは、増税と高い電気料金と、被災地の復興という重荷と、馬鹿な政府に既存勢力 そして、官僚の天下りとそれをまた受け入れる新しい なんとか機構 なんとか協会 なんとか法人 である。