一昨日の寒河江市。
よく晴れた天気で,遠くに山形の市街地がくっきりと見えた。
寒河江市と山形市は車で40分、およそ20km位の距離だが、積雪量は山形市のおよそ倍位はある。
下の写真、昨年春に「つつじ祭り」の時撮った、同じアングルからのもの。
こうして長く厳しい冬の季節が終わると、春はすべてが一斉にやって来る。
妻は1泊入院の治療を終え翌日1月30日無事退院した。
病院から出て来てもスリッパを履いたままだ。
前日の治療で下肢全体を包帯で強く締め付け、足が剥くんで靴が履けないようだ。
退院後、2日ほど安静にしたおかげで、また普通の生活に戻りつつある。
一昨日の午後、近くの最上川をひとりで散策して来た。
ここは「牛前の渡し」(うしまえのわたし)という、昔「渡船場」があった所。
晴れた日には、川の上流に月山(臥牛山)が見える素晴らしい眺めの所で、最上川
の私のお気に入りスポットのひとつ。
牛前の渡しの由来は月山は別名、牛が寝そべっている形に似ていて臥牛山(がぎゅ
うざん)と呼ばれていることから来ている。
古くは庄内と内陸を結ぶ60里越街道として、又、月山、湯殿山、羽黒山の出羽三
山を巡礼する信仰の道として栄えた。
江戸時代に入ってからは、徳川幕府への年貢米積出港として、また行者、商人が多
数行き交かい大いに賑わったところだ。
川岸には船頭小屋があり、大小2艘の渡し舟があったそうだ。
昭和36年に現在のコンクリート橋が完成し、「渡船場」はその役目を失い、やが
て消えて行った。
「牛前の渡し」はこの橋の上流約50メートルのところにあって、今は面影をとど
めるものは何ひとつとしてない。
よく見ると、坂道らしきものがある。
あの急な細い坂道を、いにしえより何百年にもわたり人々が往来したのかと思う
と、この渡船場で繰り返された歴史の織り成す悲哀に想いが誘われて行った。
真冬の最上川の川縁は私以外に人影は誰1人なかった。
しばし、川の流れと、静寂な時の移ろいに、私は呆然として立ち尽くしていた。
やがて静寂な時が壊われた。
私の気配に驚き、一斉に川面から飛び立っていった数羽の水鳥の羽音。
しかし、静寂はすぐに戻った。
対岸の杉木立の風景と、澄んだ碧と鉛色をした雲との冬空を映す川面は、長い時の
流れをじっと語らずしてただ眺めてきただけなのだろうか・・・・・?
そしてこれから先も・・・・・・
1句詠んでみた・・・・・
いにしえの・・・・
牛前渡し・・・・・
水碧き・・・・・・
遠き旅人・・・・・
みなもへ映し・・・
今日は2月3日節分。
我が家でも娘夫婦が遊びに来て孫と一緒に豆撒きをした。
そんなわけで今日も賑やかな一日で終わった。
暦はいよいよ春到来。
しかし雪解けはまだまだ先のような気がする・・・・・・
いつの間にか2月4日になってしまった。
オヤスミナサイ・・・・・・