
かっての「山形県師範学校」で、現在、「山形県教育資料館」として利用されている。
建築されたのは今から108年前の1901年(明治34年)。
山形市内の中心部から歩いて5~6分のところにあるが、この季節、あまり訪
れる人はいないようで、あたりは閑散としていた。
昨年暮れ、近くに用があって行った帰り、中には入って見学をしてきた。
内部は江戸後期、明治、大正、昭和、平成、そして現在にいたるまでの山形県の教
育の歴史資料が展示されている。
今日はおよそ1ヶ月ぶりに山形市内に行った。
あまりの雪の少なさにびっくり・・・・雪は寒河江ばかり・・・?
今日も同じ所に用があり、その後、寄ってみた。
今日は建物の中に入らず、門を入ってすぐの所から写真を撮ってきた。

ルネサンス様式の建物で、1,2階の境に見られるユーニス(胴蛇腹)と呼ばれる
部分が特徴となっている。
この時代の建物に共通することは、建物自体が西欧の文化や精神に追いつき、追い
越せとする時代の象徴そのものだ。
中央の赤いトタン屋根の尖塔には大きな時計がはめ込まれ、緑の屋根の正面に向
かって櫛形をした妻面のファサ-ド、ここはなんともいえないような愛嬌を感じさせる。
この時代の設計者はすべてが西洋文明の模倣ではなく、ちょっとした遊び心と創意
を持って、まだ見たこともない西洋館に憧れを抱いて、設計したのだろう・・。

正面バルコニーの両側の屋根についている2個の丸みを帯びたドーマーも西洋文明
の証だ。
今、私達がこの建物を見る時、建物の設計者の意図とは別に、山形県の初代県令三
島通庸の教育を国づくりの上で重要施策のひとつとした意気込みを見ることが出来
る。
すべてが西洋文明の模倣とは知りつつも尚、異国の文明を強烈に再現し、やがて来
る新しい国創りがどんなものかを知らしめようとする、新しき時代への幕開きの精神が感じ取れる。
およそ100年前の当時の人が、文明開化の象徴ともいえるこの建物をはじめて
見た時の驚きは、果たしていかがなものだったであろうか・・・・・・・・?