今日は、先日「最上川」の記事で書いた大江町に行って来た。
妻と寒河江で昼食を食べた後、大江町のス-パーに買物に、その後一緒に写真を撮ってきた。


写真は、「旧最上橋」。
※ 晴れた日が当日の写真で2月16日(土)に雪景色の写真と一部文章を新た
に加える。
川面に優雅な弧を描く3つのアーチが映っている。
写真は「旧最上橋」の上流およそ200mに平成15年完成した「新最上橋」から
撮ったもの。

※ この写真は3日かかってとった私の一番お気に入りのアングル。
実際は吹雪模様だったがこの縮小版では残念ながらよくわからないようだ。
最後にオリジナル版のものを掲載。
「旧最上橋」は昭和15年に完成した鉄筋コンクリート橋で、当時の最新の土木技
術で造られた、3連アーチの昭和ロマンあふれる見事な美しさを誇る橋だ。
およそ70年前にこれだけ美しい形の橋を設計し、また施工した技術には分野は違
っても同じ設計を仕事とする者にとっては本当に感動させられる。

私が建築の世界で設計の仕事を始めた昭和46年当時はまだコンクリートの型枠材
にベニヤ材は使用されておらず、すべて木の無垢材で出来ている小幅板が使われて
いた。
使用されているアーチの型枠、あるいは支保工だけを考えてみても大変な技術が必
要ではなかったのではないかと思う。
近年は老朽化が進み一部車両の重量制限。
4,5年前に大規模な補修工事が施され、すぐ近くに新最上橋が出来上がっても、取り壊されることなく保存、利用される。
新橋の完成に伴ってもっぱら地元の人だけが通る橋に。
しかし、もうこの橋は大江町の人々の心の財産になりきっているような気がする。

私の愛車アコードも一緒に「最上橋」をバックに写真を一枚・・・

この「旧最上橋」の下流は大きな淀みになっている。

下の写真はもう少し下流から「最上橋」を眺めた写真。

この「淀」の右岸一帯は「旧最上橋」が架かっている場所を含め、かって江戸時
代、京都の商人西村久左衛門がこの地に舟屋敷を造り、酒田と、米沢の舟運中継地
の河岸として、ここから先の上流は米百俵の船が、ここから先の下流は米200俵
の船が総数で36艘、最盛期には米3万俵を取り扱う賑わいをみせた所でもある。

写真は川港として範栄した往時を偲ばせる蔵屋敷。
もちろん、船だけではなく、商人、船頭、米運搬、旅籠などさまざまな人達で町は
賑わいをみせた。
又、酒田の港から北前船で運ばれた米俵の帰り船にのせられ、優雅な京文化がこの山間の町まで運ばれてきた。
その代表的なものが「お雛様」だ。
現在でも旧家に貴重な「雛飾り」が数多く残っていて、一般に公開しているところ
もある。

昔の賑わいの名残を語るかのように、雪に埋もれ半分川に沈みかけた小船2艘が橋の近くにひっそりと繋がれていた。

堤に、かっての「渡船場」の面影を語る石標が。

上の写真は「淀」の下流。
鴨が十数羽、川面に波紋を描きながら浮かんでいた。
「淀」を過ぎると、最上川はここで大きく右に曲がって流れて行く。
大きな中州を造るほどの激流の姿に豹変する。
山形出身の歌人斉藤茂吉がかってこの地を訪れ、一句詠んでいる。
左澤の・・・・・・
百目木たきちて・・
最上川・・・・・・
ながるるさまも・・
今日みつるかも・・
※ 左澤・・・(地名で)あてらざわ
私も一句詠んでみた・・・・。
ふりしきる・・・・
雪にさざめく・・・
最上橋・・・・・・
いずこへ去りし・・
河岸の賑わい・・・
例年3月末から「雛飾り」が公開される。
今年は是非大江町の「雛飾り」を見ながら一句ひねってみようと思う。
下の写真は去年の秋「日本一公園」から撮った最上川に架かる新旧2つの「最上
橋」。

妻と寒河江で昼食を食べた後、大江町のス-パーに買物に、その後一緒に写真を撮ってきた。


写真は、「旧最上橋」。
※ 晴れた日が当日の写真で2月16日(土)に雪景色の写真と一部文章を新た
に加える。
川面に優雅な弧を描く3つのアーチが映っている。
写真は「旧最上橋」の上流およそ200mに平成15年完成した「新最上橋」から
撮ったもの。

※ この写真は3日かかってとった私の一番お気に入りのアングル。
実際は吹雪模様だったがこの縮小版では残念ながらよくわからないようだ。
最後にオリジナル版のものを掲載。
「旧最上橋」は昭和15年に完成した鉄筋コンクリート橋で、当時の最新の土木技
術で造られた、3連アーチの昭和ロマンあふれる見事な美しさを誇る橋だ。
およそ70年前にこれだけ美しい形の橋を設計し、また施工した技術には分野は違
っても同じ設計を仕事とする者にとっては本当に感動させられる。

私が建築の世界で設計の仕事を始めた昭和46年当時はまだコンクリートの型枠材
にベニヤ材は使用されておらず、すべて木の無垢材で出来ている小幅板が使われて
いた。
使用されているアーチの型枠、あるいは支保工だけを考えてみても大変な技術が必
要ではなかったのではないかと思う。
近年は老朽化が進み一部車両の重量制限。
4,5年前に大規模な補修工事が施され、すぐ近くに新最上橋が出来上がっても、取り壊されることなく保存、利用される。
新橋の完成に伴ってもっぱら地元の人だけが通る橋に。
しかし、もうこの橋は大江町の人々の心の財産になりきっているような気がする。

私の愛車アコードも一緒に「最上橋」をバックに写真を一枚・・・

この「旧最上橋」の下流は大きな淀みになっている。

下の写真はもう少し下流から「最上橋」を眺めた写真。

この「淀」の右岸一帯は「旧最上橋」が架かっている場所を含め、かって江戸時
代、京都の商人西村久左衛門がこの地に舟屋敷を造り、酒田と、米沢の舟運中継地
の河岸として、ここから先の上流は米百俵の船が、ここから先の下流は米200俵
の船が総数で36艘、最盛期には米3万俵を取り扱う賑わいをみせた所でもある。

写真は川港として範栄した往時を偲ばせる蔵屋敷。
もちろん、船だけではなく、商人、船頭、米運搬、旅籠などさまざまな人達で町は
賑わいをみせた。
又、酒田の港から北前船で運ばれた米俵の帰り船にのせられ、優雅な京文化がこの山間の町まで運ばれてきた。
その代表的なものが「お雛様」だ。
現在でも旧家に貴重な「雛飾り」が数多く残っていて、一般に公開しているところ
もある。

昔の賑わいの名残を語るかのように、雪に埋もれ半分川に沈みかけた小船2艘が橋の近くにひっそりと繋がれていた。

堤に、かっての「渡船場」の面影を語る石標が。

上の写真は「淀」の下流。
鴨が十数羽、川面に波紋を描きながら浮かんでいた。
「淀」を過ぎると、最上川はここで大きく右に曲がって流れて行く。
大きな中州を造るほどの激流の姿に豹変する。
山形出身の歌人斉藤茂吉がかってこの地を訪れ、一句詠んでいる。
左澤の・・・・・・
百目木たきちて・・
最上川・・・・・・
ながるるさまも・・
今日みつるかも・・
※ 左澤・・・(地名で)あてらざわ
私も一句詠んでみた・・・・。
ふりしきる・・・・
雪にさざめく・・・
最上橋・・・・・・
いずこへ去りし・・
河岸の賑わい・・・
例年3月末から「雛飾り」が公開される。
今年は是非大江町の「雛飾り」を見ながら一句ひねってみようと思う。
下の写真は去年の秋「日本一公園」から撮った最上川に架かる新旧2つの「最上
橋」。

