アンデルセンの携帯

2007-11-14 00:03:14 | 日記風
 あるんだよね、と思うんだけど。
 本屋で本を立ち読みしていると、『彼氏からメールの返信がくる書き方』ってあるの。
 
 いつの頃からか、悩みの1ページになってるのね。

 私が答えられればいいんですけど

 出さないのが1番かなって ・・・って最近DMの為の道具と化している私は思う。

 メールの時代が来ようとも、あんまり文章書くの好きじゃない人は書かないし。文章力のない人はやっぱり書きたくないし。そこん所は手紙の時代と変らない。
 ただ手紙オンリーの時代は時間がかかって当たり前だったから待ってる方に余裕があった。メールは瞬時に答えが来ておかしくないから、来ないことに苛立つ。

 そういう意味では、どんどん息が詰まるだけだわ。
 
 返事が来ないことは深く考えてもしょうがないのよね。
 文章書くの好きじゃない人は好きじゃないし・・・って繰り返しかい
 ただ色々やってみて思うのよ。
 大概、「メールって好きじゃない」って最後は言い出すから。(でも男性は不必要な内容のメールは基本的に好きじゃないらしいですよ。女の子は好きなのにね~
 
 児童文学で有名なアンデルセン。彼はかつて恋をした時、相手の女性に自分のことを知って欲しくて100枚に及ぶ長さで自分の生い立ちを書いて渡したらしい。
 彼にしてみれば一世一代のラブレター。
 誰でも好きな人に、自分の1番大切なものを与えたいと思う。
 作家って、それが何かって聞かれた時、自分の作品だと思うの。そうするとアンデルセンのした行為って言うのは涙無しには語れない、深い心のこもった行為

 けど相手の女性からしてみれば、実に鬱陶しいことだったろうなって思う

 私ですら、昔は好きになった人に詩を作って送ったからね、わざわざ。
 1番大切なものをあげたいと思ったらそうなっちゃった。
 でも相手は迷惑 だったろうなぁ。

 その当時 からそうは思っていた。
 
 だから途中から、人の作ったまとも に読める詩を「他の人が作ったよ」って言ってあげた。
 ここまで来るとあんまり意味ないわね・・・。でもあげたいのよ、文章を
 
 好きだから名文が必ずしも浮かぶものでもないし。

 相手の迷惑考えたら、妥当な線かなって。

 それでも私を好きとか嫌いは関係なく(私の書いたオリジナル内容のものね)それはじーん とくる物はあったといいますよ。

 それだけは を にして言っておきたい。

 アンデルセンもメールのある時代に生きてたらきっと同じ過ち仕出かしただろうなって思う。
 でも物を書く者はプロでもアマでも本当の心を語ってると思うよ。

 そうだよな・・・恋すりゃだれも詩人か・・・。

 最後は会いに行こうよ。来てくれたってことが凄い嬉しいことだったりする

 ・・・こともあるっ