悲劇の2人

2007-11-15 00:02:28 | 日記風
 共に子供の頃からミステリーにあった。読書傾向、映画傾向

 自分が書きたいと思うものもミステリー

 も、これはある種の特徴を育む要因となる

 アクシデントが起こる それが動機となって事件が起こる。これはミステリーの黄金のパターンですから。
 20年前の悲劇が再び幕を開ける これもお決まりですから

 そうするとね。自然、中で恋愛を書こうと思うと、壊れることを前提にカップルのことを考えている。どういう出逢いだったら2人の間にどうしようもないアクシデントが生まれるのか。どういうアクシデントだとどうにもならない2人の展開になるのか。そして悲劇の別れが訪れるのか。
 
 ここの所、家でテレビを観てる時間が長いので改めて考えると目茶苦茶そうなのよね。
 無理矢理でも悲劇の2人の成り立ちを考えていると思います。
 
 こんなことばかり考えていて、いいことがありますか?

 ありませんっ!

 弊害ばかりです。

 「あんたハッピーエンドの物事考えられないでしょ」
 そう言われたことがありますが、Yes! 大Yes!

 「そういうこと考えてる奴は成功しないから」
 だそうです。

 上手く行く2人にはそういう出逢いがあってそういう展開があって、そういう結末へ行きつくのです。必ずしもこうだから、こうって断言はできないけど。悲劇の2人の行く末について考え続けた結果そう思います。

 ハッピーエンドには成り方がある

 そして心理的な問題もまた大きい。
 ミステリーのパターンでこれもまたよくあるのですが、相手の行動に疑問が沸いた時、信じることができない。
 
 信じられない心が悲劇を生む  ・・・

 反面教師だなミステリー。
 
 
 逆に恋愛小説(・・・ハッピーエンドを迎える2人の話)を読んでいると、いかに互いが互いをフォローしようとするか・・・。

 ここが違う、徹底的に違う
 
 信じる心が幸運を生んでる
 
 今は悲劇の2人じゃなくてもいいのかな・・・って思っているので、少しずつ発想のパターンを変えようと思っている。
 
 何せ『成功しないから』だから