大追求

2009-01-05 01:02:46 | 戯曲塾
 劇作家コースは毎年9月末と2月末に〆切なるものがあります。

 次は2月末ってことですが、そろそろ書き始めております。
 1ヶ月もあれば、これは書けるんじゃないかな。
 そういう意味では心配してないんだけど。

 多分、今の私は疲れてると思う。 
 精神的にだと思う。
 肉体的には動いた方がいいんですよ。その方が筋肉がほぐれるからちょうどいいと思う。

 けれどこの精神的なる疲れがばかにできない。

 肉体を動かせば少しは緩和できるのだろうか。
 本人は自信がないのよ。

 誰かが「そんなもんよ」軽く言ってくれれば、そうかなって思うけど精神的にやられてる時は判断力がぶっ飛んでいますから。
 そうじゃなくても「冷静」が常にぶっ飛びやすいと言うのに。

 この時がねー、人格変わってるらしいんだけど、ほら、本人って最後の最後まで自覚ないのが普通でしょう。(そうらしんですよ、本当にそうらしんですよ)

 それでも今は何かを書いていることがもしかしたら精神を上手く調和させてるかもって思う。

 ミステリーとかでも?
 やっぱり素朴な疑問なんだけど、殺人計画を考えていて書き手のみな様は疲れないものなのかしら。

 昔、ギリシャ哲学者が演劇、創作を「善」と「悪」のカテゴリー分けをするなら「悪」にしたって話があります。
 お話の上でさえ、1度は人を裏切ることを考える。それを誰かが観る、もしくは読む。人の心にそれを喚起させることは「善」とは言えないってことですね。
 ましてそれを書く人間の心の中では読む者より倍、それを考えているわけですから、作者にとっても「善」を行っている行為と言う訳ではないと言う理由です。

 思いますよ。
 某、サスペンスドラマの中で
 『私は人を殺す為に生まれてきたなんて』
 みたいな台詞がありまして、それを聞いた時心の中で「おー」と思いましたもの。
 上手いんですよ、台詞としては。
 
 けれどそれを考える脚本家は絶対1度は病むんじゃないかと思う訳です。
 結構きついですよ。やると判りますけど。
 だから勧めませんけどね。

 それでも書きたいという衝動がある限りは、しょうがないだろうと。そういう性なんだよ、きっと。

 どういう性なんだろうねー。
 どんな因縁が前世にあるとそうなるもんか。
 追求できるものならしてみたいもんだ。


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