大阪水曜ほっと集談会一世です。
疲れたら休めばよい。
そしてまた、少しづつ歩き始めればよい。
今私はそのような気持ちである。
今日は半月ぶりに長引く心身の不調のまま、このブログを書いた。
今年の落ち込みは、例年になく辛く重苦しいものだった。
見るもの、聞くものすべてに関心がなく、食べたいものもなく無感動な日常。
特に朝は、起き上がるのも億劫である。
桜も菜の花の鮮やかな色彩も、心に入ってこない。
心が乾いてまるで深夜放送が終わった後のザーザーとしたテレビ画面のような感じがする。
なぜだろう、なぜだろうという自問自答の日々であった。
組織嫌々病に端を発した自己否定の日々、過去の自分を問い続け、未来への不安に翻弄される日々が続いた。
それは出口のない不毛な苦しい作業であった。
意外にもその問いに対する答えは簡単であった。
私は私でしかない。
森田先生の言われるあるがままであるより仕方がない。
私を救うのは、私でしかない。
還暦まであと1年、何とかこの命のハードルも乗り越えられそうな予感がしている。
心配していただいた共に森田を学ぶ仲間の皆さんに感謝したいと思う。
自己満足であるが、今までになく寄り添い感が増した気がする。
今月もオンラインで大阪水曜ほっと集談会を開催する。
私のどうしようもない情けない話でも共感していただける方が有るかもしれない。
こんな奴でも何とか生きていると思ってもらえるかもしれない。
森田小学校劣等生の私は、永年に卒業したいとは思わない。
いつまでも未成熟で、道半ばで、完結することもなく、ゆらゆら惑いながら生きていきたい。
魂が揺れ動くことで、心の風鈴が綺麗な音色を奏でるかもしれない。
2021年4月9日 一世