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大阪水曜ほっと集談会一世です。
皆さんは発見会アプリというのができたことをご存知でしょうか。
仲間である若い会員の研究者の方が、約三年をかけて開発してくれました。
早速シニア世代の私も、スマホで楽しんでいます。
一般の若い世代に気楽にNPO法人生活の発見会を紹介できる素晴らしい試みだと思います。
従来とは違った森田理論普及のための新しいアプローチがこのような形で生まれたことを私はとても嬉しく思います。
ところで昨日シニア世代の同僚が仕事の段取りをめぐって若いスタッフにキレていた。
忙しすぎてギスギスしているのである。
仕事のやり方をめぐってシニア世代特有の単刀直入の物の言い方である。
若い後輩は嫌々ながらやっていたので偉いと思った。
若い頃の私であれば反発して言い返していただろう。
指導することと、頭ごなしに怒鳴ることは違う。
若い社員が離職する背景にはこのような、日々のやりとりがあるような気がする。
ふと思ったことがある。
森田を学んでいてよかった。
森田の学びがなければ私も同僚と同じ事をしていただろう。
森田を学んでいたことで、何事もしかるべき時があることを少しは理解できたと思う。
また答えはひとつではないことを、学んだような気がする。
以下は私の勝手な解釈である。
間違っていれば教えを乞いたい。
例えば、思うようにいかない人間関係に対して、仏教では縁や因果と捉える。
キリスト教では、愛である。
アドラーは課題の分離という。
森田では、理想と現実のギャップから生じる苦しみを思想の矛盾と呼びすべては、常にあるがままであり、事実唯真である。
何が自分にとって一番しっくりするかは人それぞれである。
自助グループ内において大切なのは自分たちの理論を絶対視するのではなく、相手を見ながらどうすれば理解してもらえるかという小さな工夫の積み重ねではないだろうか?
私は集談会馬鹿であるが、森田理論馬鹿にはなりたくない!
2023.12.11 一世