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大阪水曜ほっと集談会一世です。
森田にアイスもホットもあるんかいな?
とヤジを飛ばされそうですが、私はあると思っています
冷たい森田とは、いわゆる研究者や専門家といわれる人たちから語られる極めて冷静で学術的な技法を駆使した理論的な森田です。
半面私はこれで立ち直りました、これで克服しましたという自己の体験をベースにした生死の問題に切り込んだ、熱い森田もあります。
正直どちらも森田を語っているようですが、共に森田の一つの側面であり、森田のすべてを語りきれていない気がしていました。
大学の単位取得のような、〇〇学習会を終了したからすぐにすべてが得られるようなそのような性質のものなのかという違和感が常にあったのです。
また成功体験に裏づけられた、行動による成果が治ることであるならば随分薄っぺらいと感じる気持ちもありました。
そのような私の心の片隅にあった問いに、しっくりする言葉を見つけました。
それは後ほど紹介しますが、森田は神経症者救済の優れた技法にとどまりません。
避けられない生死の問題に人間がいかに処していくかを内省した、ある意味で人間の不条理を包み込む思想であったことに気がついたのです。
それゆえに、時代や環境を超え現代の私達に語りかけてくるものがあるのです。
※今日の森田の言葉
それでは神経症者とはどういう人々なのでしょうか。
恐怖や不安を人間の誰にもありえる当然の感情として「あるがまま」に受け入れることができずに、この恐怖や不安を排除しようと「はからい」そのためにますます強く恐怖、不安にとらえられ、そうして抑欝と煩悶におとしめられていった人びと、これが森田のいう神経症者です。
森田療法とは、そういう神経症者に対して、あなたがおびえている死の恐怖とはあなたが持っている強い生の欲望の反面なのですよと、つまりは死の恐怖とは生の欲望のまごうことのないあらわれであることを認めさせ、そうして生の欲望に素直に身をゆだねて人生を送るという態度に神経症者をめざめさせる、そのための療法であります。
人間感情の機微をよく見定めた実に平易な療法思想だと私には思えるのです。
森田療法は、神経症者救済の優れた技法ですが、しかし単に技法であることをこえて死生の問題に人間がいかに構えるかという、われわれの人生の大事に迫る思想の体系だと私はみております。
いいかえれば森田療法がこの人生の大事に迫る思想の体系に裏づけられて初めて優れた精神医学たりえているということができるのです。
2023.12.29 一世
※東京工業大学教授 渡辺 利夫氏 「不安な時代をどう生きるか。」より抜粋