大阪水曜ほっと集談会一世です。
最近理屈めいた話を聞くと、頭が痛くなる私です。
一般社会でも自助グループでも何かにつけ理屈ばかり言う人がいる。
そういう人に共通しているのは、手が動いていない。
動かずに出来ない理由を常に探している人たちである。
当然そのような人は嫌われる。
なぜその人は理屈を言うのか?
私なりに考えたのは、幸せではないからだろう!
幸不幸は主観的なものであるが、あまりに言い訳や意味づけが多い人は、話をしていても面白くないのですぐにわかる。
かつての私は理屈ばかり言っていた。
当然のごとく幸せではなかった。
幸せに見える人を観察していると以下のようなことに気がつく。
相手の良いところを優先的に見ようとする。
相手の失敗を過剰にとがめない。
つべこべと理屈を言わない。
ニコニコして朗らかであり、心が安定している。
相手の言うことを否定も肯定もしない。
自分がほめられても特に反応しない。
過剰に謙遜をしない。
縦の関係より横の関係を築くのが上手である。
お金の使い方にメリハリがあり、使うときは使うが普段は堅実である。
課題の分離が出来ており、必要以上に、相手の心の境界線に侵入しない。
善意の押しつけがない。
自分が今、出来ることと、出来ないことの区別が出来る。
※今日の森田博士の言葉
私がいつもいう「純なる心」から出発することによって、そこに本当の人間味が現われてくるのであります。
宗教的、あるいは道徳的な理屈は少しもいりません。
2024.1.27 一世