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大阪水曜ほっと集談会一世です。
今日からまた日常が戻ってきました。
今から出勤する私です。
今年もまた家庭や職場でもさまざまな問題が起こることでしょう!
望まなくても仕方なくトラブルに巻き込まれることもあるかもしれません。
私自身について言いますと、最近は血圧が上がるので少なくなりましたが、些細な事が原因で職場での意見の対立や夫婦喧嘩や親子喧嘩などは、今でもあります。
喧嘩というか、一方的に言われっぱなしと言うことも多かった気がします。
さて森田博士は喧嘩する事をどのように考えておられたのでしょうか?
森田博士の指導は、常に抽象的ではなく実際的です。
森田博士は学術的な討論の場では、ほとんど沈黙されたと言われています。
以下は私の勝手な推測です。
性格もあると思いますが、当時ほとんど森田療法が理解されない時代背景がありました。
それどころか、ヒポコンドリー性基調や禅語などが当時のフロイトの精神分析学が主流であった官学主導の権威主義的な医学界において攻撃の対象になりやすい側面もあったと思う一世です。
当時すでに森田博士は、神経質者が思想の矛盾に陥りやすいことに気がついておられたはずです。
だとすれば、そのような方向にエネルギーを使うことを病弱な森田博士は避けられたのではないかと推測しています。
しかしながら内面は、忸怩たる思いがあったことでしょう!
むしろ国内ではなく、エスペラント語を駆使して海外にこの学説を問いたいという野心を持たれていたという記述もあります。
※森田博士の言葉
君が癪にさわったとき、あるいはその腹立ちを我慢し、あるいは気が弱くて、友人に言いたいこともいわずにすめば何の波瀾もなくて幸いである。
しかしそれもよいが、さらに君のように、勢いよく喧嘩したことも、ますますよいことである。
それは、この経験から、懲りて、将来もっとよい友人を失うようなことがなくなるからである。
とかく若い間は、少々きわどい経験をいろいろとやることが必要である。
私のやり方は簡単である。
そんな困難もしくは不可能な努力を要しない。
ひと口に言えば癪にさわる、さわるままに、「うぬ!どうしてやろうか」とか、ハラハラ、ジリジリと考えればよい。
2024.1.4 一世