大阪水曜ほっと集談会一世です。
世の中には、一見無駄と思えることの中に実は、大きな意味合いがあることが多々あります。
最近興味深い記事を読みました。
遺伝子の世界がまさにそうなのです。
ジャンクDNA呼ばれているDNAがあります。
ジャンクという言葉の意味は、無駄、ゴミです。
一見機能が特定できない、ゲノムのゴミが人類の進化に大きな役割を担ってきたという事実が生物学的に明らかになっているそうです。
私は生活における神経質症状にも同じような意味合いを感じるのです。
後で振り返ったときに、神経質者が生きる上で、症状なるものが大きな意味合いを持っていたことに気がつくのです。
何度も鍵の開け閉めを繰り返したり、手洗いを繰り返したり、検査を受けたりこれほど無駄なことはありません。
神経質症状とはある意味で、生活の停滞や非効率な日常を生み出します。
しかしそのことにより、受け止めきれない現実的な苦しみや不安に過剰に向き合うことで、心身が疲弊することから守られているのかもしれません。
その極めつけが、抑鬱体験ではないでしょうか?
いわば感情に対して強制終了が起こるのです。
抑うつ体験とは、車に例えますと、猛スピードで壁に激突する寸前にサイドブレーキがかかった状態です。
車は性能が良ければ良いほど加速力があり、スピードを増します。
制御機能を失えば、それは一つ間違えば大事故にもつながるのです。
私は今シンプルに症状により、命が助かったと、つくづく思うのです。
※今日の森田博士の言葉
なお人の顔つき・言動などが気になるのは、煎じつめれば、対人関係において、我々が他人から悪く劣等に思われたくない、好く偉く思われたいという自己保護の欲望から起こるもので、決してつまらぬことではない。
だがこれを、自分の卑近な功利主義の考え方から、自分が勉強し、あるいは成功するために、こんなことを考えていては、邪魔になると思って、これをつまらぬことと、自分勝手に評価するまでのことで、実はその評価が、無理な考え方になっているのである。
2024.1.20 一世