大阪水曜ほっと集談会一世です。
先日テレビ越しに見た、能登半島地震で被災された、高齢者男性の「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないか」というつぶやきがいつまでも心から離れない私です。
鉛のようにずしりと心に沈殿するのです。
わたしたちの人生には、どうにも、こうにも希望が持てない時があります。
どんな言葉も、どんな美しい光景も心に入ってこないのです。
自然災害ではありませんが、私にも、ふと自虐的にそうつぶやいてしまいそうになる瞬間が今でもときおりあります。
そのような思いもまた、心の一部であるとおさえつけずに、
そんなときは、寒い外気に触れながら、近くをぶらぶら歩くようにしております。
今朝も駅の近くまで歩くと、校庭から大きな声と共に小学生がボールを蹴ったり、元気に走り回る姿が目に飛び込んできました。
自分にもそのような時期があったのだと、半世紀前の小学生の私が、そこに映し出されたような気がしました。
ゆらゆらと海月(くらげ)のように心が揺れ動くのを、楽しんでいる一世です。
2024.1.25 一世