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1枚の写真

2020年06月30日 06時19分49秒 | コラム 

「1枚の写真」

 

新型コロナウイルスで職場の休業要請の間、自宅でかたづけをしていて1枚の写真を見つけた。

小学生の時に4歳年下の弟と新幹線の中で撮った写真だ。

幼いころの弟が、よそ行きの服を着ていて可愛い。

弟とは、同じ小学校・中学校で高校は違ったが同じ地元の公立高校に通った。

そして大学も、関西の私立大学にそれぞれ進学し関西の企業に就職した。

やがて私は20代で転職し、同じ時期に弟から相談があり彼も転職した。

偶然同じ年に結婚し長女は同い年で、共に子供も2人であった。

振り返ると彼はいつも私の後を歩んでいることに気が付いた。

転職後の私は、人間関係が下手で自己主張が強く組織の中で常に浮いていた。

他方弟は、上司からも可愛がられ部下からも慕われ順調に昇進した。

そんな弟が、私には心の中で自慢だった。


しかしながら、彼との別れは3年前に予期せぬ形で突然訪れた。

くも膜下出血と言う病が突然弟を奪い去ったのだ。

パニックで苦しい時夜中に、弟に何度も電話をした。

彼は黙って私の話を聴いてくれた。

私は心が落ち着いた。

そのような優しかった弟に私は何もしてやることが出来なかった。

逆縁(年若いものが先に亡くなること)の苦しみを体験された方は、この悔しさをわかっていただけるのではないか?

森田療法と言う日本独自の精神療法の創始者である、森田 正馬博士もまた、逆縁を経験された方である。

若い頃には弟様を、そして晩年には、たったひとりのお子様であったご長男を亡くされている。

以下「自覚と悟りへの道」p221より抜粋

「私の、現在の気持ちをいえば、たとえ自分は地獄に落ちても、気が狂ってもいいから、ただ子供に会いたいという心でいっぱいです。

つまり私の心は、けっして自分の事に内向的に動いているのではなく、ただ一途に子供の事を思い、子供の事を悲しむだけであります。

それが純情というものでありましょう。」

この一文を50代で弟の病死の直後に読んだとき、森田 博士ではなく同じ神経質を共有する一人の人間としての森田 正馬に出会ったような気がした。

そして文字が霞んで、涙がとまらなかった。

私が何もなすこともなく、だらだらと過ごした1日は、弟が生きようとして叶わなかった1日である。

仕事から疲れて帰ると、写真を見ながら、弟に褒めてもらえた1日であったのか?

自問自答を繰り返している私である。

 

by 一世(いっせい)

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