
大阪水曜ほっと集談会一世です。
多忙な日々である。
心がすり減っていると感じるときに森田療法家の水谷啓二先生の言葉に触れると気合いが入る。
さて加齢とともに桜よりも梅に惹かれる私です。
先日大阪にあります、メンタルヘルス岡本記念財団を訪問させていただきました。
そこである一冊の本をお借りしました。
水谷啓二先生の書かれたあるがままに生きるという書籍です。
これは当時熊本日日新聞に掲載された宗教随想を編集されたものであり、少なからず仏教の影響があることは申し上げておきたい。
水谷先生は森田博士から直接森田療法の指導を受け神経質症状から立ち直りジャーナリストや作家として活躍された方である。
森田療法への深い理解は当然であるがジャーナリストとしての事実認識に加え仏教への造詣も深いかたであったと私は認識している。
よって様々な視点から人間というものを捉えておられる。
ちなみに森田博士は科学と宗教はお互いに補い合う関係であると述べられている
本日は、「あるがままに生きる~幸せはあたり前の生活の中に~」
の青い梅の実という単元からご紹介したいと思います。
以下水谷先生が、若い寮生に問いかけられた言葉とそれに対する寮生の日記からの抜粋です。
梅の木は春先には清楚な花を咲かせて、私どもの目を楽しませ、
初夏には枝もたわむほどいっぱいの実をつけて、
食べさせてくれます。
しかもそれに対して梅の木が、どんな賞賛や返礼を要求したでしょうか。
これは当時二十五歳の寮生に問いかけた水谷先生の言葉である。
それに対して、その寮生の言葉が心にしみる。
梅の木は梅の木という本来性を立派に生かして、大きな実をたくさん実らせそれを人々に与えている。
私も自分の持って生まれた本来性を生かして、
まわりの人々や生き物に何か役に立つものを与えつつ生きる以外に、
生きようがないではないか。
それが一番自然な、そしてほんとうの生き方ではないだろうか。
この言葉の中には水谷先生へ深い信頼と寮生の気づきが凝縮されている。
本来性の発揮は森田療法の主要なテーマではないだろうか ?
近頃の森田療法を使って性格を変えるとか乗り越えるといった風潮に警鐘を鳴らすものであると私は密かに思っている。
2025.2.3 一世