大阪水曜ほっと集談会一世です。
昨日本当に何年ぶりであろうか、映画館に足を運んだ。
集談会の仲間や若い友人からも勧められた壮大な歴史ドラマである。
このような当たり前の日常が戻ってきたことがうれしい。
映画はすばらしかったが、少し気になったことがあった。
常に飲酒の場面が出てくる。
飲みすぎやろ!
過酷な戦場を生き抜くためには素面ではやっていられないのだろうか?
お祝いの席も弔いの席も酒はある種の日本の文化として定着している。
かくいう私も酒の上での失敗は数知れずある。
20歳の頃友人3人で飲みに行き急性アルコール中毒で救急車のお世話になったこともある。
真冬に集談会後の懇親会で飲みすぎて、電車の終点まで乗り過ごしたこともある。
トボトボと歩いて帰るむなしさは格別であった。
にもかかわらずやめられなかった。
森田博士の「自覚と悟りへの道」には、酒をやめるにはという単元がある。
森田博士の答えは簡潔かつ明瞭である。
酒を飲みたいのは主観的な事実であり、酒は有害であることは客観的な事実であります。
この両方の事実をべつべつにハッキリ認めれば、けっして暴飲にはならないものであります。
この両方の事実をウヤムヤにしていろいろの理屈をつけて自分の心をラクにしようとするから、かえってまちがいにおちいるのであります。
中年期に人間関係の苦しみを酒で誤魔化してきた代償は大きくこの冬は血圧爆上がりであった。
さらに水谷啓二先生の酒がやめられないという会員への答えはこうである。
他人と相対の上に意識される自己は、いわば仮の自己であって、真の自己ではありません。
だからこそ、他人より自分の方が優越していると思うときには優越意識にとらわれ、自分が劣っていると思うときには劣等意識にとらわれることとなり、人間関係がうまくゆかなくなるばかりでなく、飲酒に逃避したくなるのです。
恥ずかしくなるくらい図星であると思う一世です。
そういえば昨日もアルコールを全く飲んでいないことに今気が付いた一世です。
いづれにしても酒と症状は嫌でも避(酒)けて通れない?
おあとがよろしいようで!
2023.3.1 一世