お料理してますか?

一人暮らしをしている、社会人一年生の娘への、簡単なお料理とメッセージ

唐揚げ弁当、そして持ってけ泥棒!!

2013-04-12 09:40:40 | 晩ご飯
               

鶏胸肉の唐揚げです。
おろし生姜・お醤油・顆粒出汁・オリゴ糖(みりん、砂糖でも)・お酒で一晩漬けておき、
朝、片栗粉を漬けて多めの油で揚げ焼きに・・・・。
和風唐揚げです。
昨日は、関連会社の見学で、薬膳弁当の支給があったそうです。

さて、我が家の遺産分割協議、大体めどが立ってきました。
司法書士さん、税理士さん、会計士さん、皆さん、
あまりに惨憺たる結果だったので、なるべくあまり、損をしないよう色々考えて下さいましたが、
義姉有利に進んでおります。

いつまでも、こんな状態もはっきり言って、面倒なので、この辺りで決着を・・・。
どうせ、自分達が溜めたお金じゃないし・・・・・。
我が家の預金を取られるのでは、無いし・・・。
と言うことで・・。自分達は納得するほかないと・・・・。

土地は、結局、半分ずつで、義姉も大満足と思いきや・・・・。

介護をもう辞めると宣言した、手紙を置いて行く前に・・・。
しっかり、すべての預貯金・有価証券・保険等々、あらゆるものを家探しし、
将来分けることになるであろう財産を、全部計算していったそうな・・・。
出てきた結果が、義姉の試算より数百万少ないとかで、
でも、その金額は、さっぱりこちらも分からない・・・・。(そんなの使ってないし・・。)
付け加えて、積立預金の見間違いかも知れないけれど、とは言っていたそうで、
それは、税理士さんも、義姉の思い違いであろうとは、言って下さったものの・・・。
こちらも、何だか嫌な感じを・・・。

そして、弟(お父さん)名義の預貯金もあったはずだ!などと・・・・。
確かにあるよ・・・。
自分の名義の物もあったんだから、それは、関係無いんじゃないかな・・・。
義姉は、私が何も知らないだろうと思っているのだろうけれど、
おじいさんが、しっかり私に色々喋っているし・・。
息子とY子(義姉)にもこれだけの預金をちゃんと積んであるから。と・・・・・。
ホントに、弟名義の物も預貯金残高に加えて、よこせ!と言うか・・・・。
以前、私の娘の名義の預金を見つけ、不機嫌になっておりましたが・・・。
(甥名義の大口の物もあるんだから、そう怒るなよぉ~。)
義姉は、全部見て行ったんです。(証書を残して行っただけまぁ良いか・・・。)
自分の分は、こっそり隠し持って・・・・・。
私たちは、義姉が洗いざらい家探しした後、
それも、おじいさんが、義姉に財産をやりたくないから、お願いだから
何とかしてくれと、頼まれてから、預貯金の証書などを探したような訳で・・・。
悪い奴でも兄妹だと思っていたからですね。
お間抜けなんですど・・・・。

流石に税理士さんも、「ご主人名義の物まではねぇ・・・・。」とおっしゃってましたが、
さらに、「自分のもあったから、あんな良いマンションを買ったんだろうし・・・。」とも・・・・。
駅近くのマンションに住んでいらっしゃるようで・・・・・。

前回の話でも、その話題が出てました。
司法書士さんが先に義姉に合ったのですが、それで、良いマンションの話がでて、
それから3人揃って、義姉に面談したときも、3人の感想は、良いマンション・・・。
「アルバイトしてるくらいで、買えるようなマンションじゃないですよ。」と・・・。
ああやって、逃げ出した人だから、賃貸のアパートに住んでいると思っていたそうです。
私たちは、甥っ子から聞いてマンションと言うことは知ってましたけど、
絶対、何処かは言わないし、聞かないし・・・。です。

さらに、凄いことが・・・・・・。
おじいさんの家を片づけるのにあたって、処分する物が多くて困っているんですが、
あの、高級なマッサージチェアが・・・・・。
おじいさんが元気だった頃、義姉は、あのマッサージチェアに固執してましから、
よければ、義姉にどうぞ・・・。と言う趣旨の話をしました。
すると、そうそう・・・・。
テレビとか、電化製品もあったはずだ!と言っていたとか・・・・・。
テレビが欲しいとか・・・・。
他にも色々言っていたそうで・・・・。
が、今の段階では、その話は、突っ込んでしなかったとおっしゃってましたが、
既に、叔母たちにも形見分け済みの着物に始まり・・・・。
テレビまで、来たかっ!

何だか、話していて可笑しくなってきました。
強欲と言うか、節操がないと言うか・・・・・・。
おじいさんの介護が始まった時、
テレビ・洗濯機(2層式だったため全自動に買い替え)・
ポータブルトイレ(これはレンタルは駄目で、買い取りでした。)・IH調理器など
新しく買いました。
多分、IH調理器も欲しいはずです。
選ぶ時に、実用性ではなく、ファッション性のある物を、
「後で、貰うんやったら、これが良いなぁ~。」と言いながら、義姉が決めたのでした。
最初から、介護をする気はなく、さっさと、施設に入所させ、
電化製品は、自分が貰おうとしていたのでしょう。
今から、介護をして行こうと言う私と、早々に施設に入れてしまおうと言う義姉。
スタート時点からもうすでに、方向が違っていたのです。

ケアマネさんに、諭されてもひたすら施設を探しまわっていましたね。

もう、その時点で、笑いが止まらなくて・・・・・・。
後は何が欲しいんだ???
一度、家探しに来て、欲しい物みんな持って行ってくれたら良いのに・・・。
片づける苦労も何にも知らなくて、文句タレタレ言って無くって良いから・・・。

洗濯機も持って行ってくれたらなぁ~。
あれ、おじいさんのウンチやおしっこの一杯ついた洗濯物を洗ったけど、黙っていよう。

出来れば、ポータブルトイレも持って行って欲しいんだけど・・・。


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焼きそば弁当と肉じゃが

2013-04-10 09:55:02 | 晩ご飯
               

本日、炭水化物多めのお弁当です。
初めて焼きそば弁当を作ったのは、娘が高校生の頃・・・。
炭水化物に炭水化物のおかず?
誰かのお弁当がそうだったからなのか、作ってくれと言われて・・。

母が高校生の頃、イタリアンスパ(今は、ナポリタンと言うのが主流のようですが。)
が、おかずのお弁当を持ってきている同級生がいましたが、
それと同じだわ・・・・・。

焼きそばと、半熟味玉子、ブロッコリーとプチトマト・・・。
青のりは、歯に付くから止めとこうかと迷いながら、うっすらと・・。

肉じゃが
               

昨夜の一品です。
麺つゆを水で薄めみりんを入れた煮汁で、じゃが芋・玉ねぎ・人参・牛肉を煮ただけで出来あがりの、簡単肉じゃがです。

さて、色々思い出している母ですが・・・。
我が家の遺産分割とは、不公平であると言う結果に・・・・。
義姉が先に生まれていると言うだけで、不公平が生じています。
そして、先に結婚をし、先に子供を生んでいる・・・。
そこにも不公平が生じているのです。
既得権だとか・・・・・。
(それでも、多分、まだ、いちゃもんをつけてくると思いますがね。)

蓋を開けてびっくり!!
お父さんの両親の言っていたこととは、真逆!
義姉の取り分の方が断然多く、親は、こんなことになるとは思わず、
複数の所有にしていたと思われるのですが・・・。
まさか、娘がこんなひどい人間に成長するとは・・・・。

義姉自身の生活態度が、こんな問題になったのだと思いますが、
普通に結婚生活をして、家庭を作っていたなら、ここまでお金に執着しなかっただろうと思います。

叔母たちからは、○○家の恥とまで言われても、嘘を繰り返し・・・・。

おじいさんが、終の棲家と思われた施設から病院に入った時、転院した時、
すべて、決断の時でした。
急性期の病院からは、何時退院出来るのか?
分からない中での、病院通い・・。
オムツ・尿取りパッド、バスタオル数枚、パジャマなどを毎日持って通う日々・・・。
1ヶ月と少しで、俗に言う老人病院への転院・・。
そこで待っていたのは、看取りか、手術かの選択・・・・・・。
その選択は、おじいさんの生死にかかわる選択でした。
お父さん一人で決断しなければなりません。
きっと、悩んだことだと・・・・。
私は何も口出ししてはいけないと、ただ、見守るだけでした。

こんな大事な時でさえ、義姉には、相談すらできません。
何も知らず、能天気に遊び暮らしている・・。

手術を選びましたが、同意書にサインをした時点で、容体が変わり、
そのまま数日で、息を引き取りました。
(サインした用紙は、手元にあります。持って行く前だったのです・・。)
危篤の際に、義姉は病院にマスク姿でやってきました。
表情を見ることはできませんでした。

叔母たちに、
「私は、あの子たちに、顔向けが出来ない。」などと言っていたようですが、
実際に、私たちに対する態度は、到底、人とは思えない発言・・・・・・。
他人には、良いことを言うのです。

まさか、ここまで酷いことはしないだろう。と思っていることを、します!
ことごとく、裏切られ続け、今では、
普通、ここまではしないだろうと、思うことをする!という風に受け止めています。

普通、と言う言葉が当てはまらない人だと、やっと、やっと、今頃気づいた訳です。

今まで、何度も騙されて、
他人の忠告も「まさかぁ~。」と、聞き流してきた私ですが、
やっと、義姉に対して諦めがつきました。
この人は、駄目だ!

なんだか、すっきりしました。
こだわりが無くなったと言うのか・・・・。
そうそう、義姉に作ってもらった、結婚式のブーケも捨てます!!
(まさか、あれは私が作ってやったんだから、返せ!とは言わないだろう。なんて、思っていると、言ったりしますかね。)
迷いが無くなって、気分は楽ちんでございます。


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おじいさんショートステイに行くの巻

2013-04-09 07:45:02 | 日記
本日、娘は工場見学ということで、帰りの荷物が少なくなるよう、おむすびを選択。
最初は、半熟玉子を入れて欲しいとか言っておりましたが、
荷物一つ減らすため、要らないと・・・・・。
鰹でんぷ(日本坂のサービスエリアで買ったお土産)・自家製梅干し・青菜。
の、3種類を持たせました。

工場見学の次は、関連会社の見学会、遠足と呼ばれる社会見学・・・・。
等々、まるで、小学生のよう・・・・。
その度、集合時間が違い、今朝は久々の4時半起きで、眠いです・・・。


今日は、「おじいさん、ショートステイに行くの巻」です。

一番最初のショートステイは、私のドクターストップにより、経験したおじいさんですが、
(義姉の理不尽な怒りと暴言のために、パニック障害になってしまった母でした。)
本格的なショートステイの利用になると、2か月先からの予約制でした。

すべて、義姉の都合だけで、予約を入れていましたが、
結局のところ、初めてのショートステイの時点で義姉はもう逃げだした後でした。

ケアマネさんは、私が一人で介護。になったことは知らず・・・。
また、報告もしてませんでしたが・・・・。

おじいさんが、拒むのです。
義姉が、あれほど、
「おじいさんは私たちに面倒をみられるのを嫌がっている。施設に入りたいと言っている。」と、私に言ったのですが、真っ赤なウソだったと言う訳です。

家が良いのです。家に居たいのです・・・。

ケアマネさんが説得しますが、埒が明かず、
「Y子さん(義姉)何とおっしゃってます?」
「えっ!義姉はもう、介護には参加していないので・・・。何も・・・。」
「・・・・。どうして早く言わないのっ!」
「家庭の事情なので、別に良いかと思って・・。」
「介護者が、一人か二人かで、状況は変わって来るんです。もう、絶対ショートに行ってもらわないと!倒れちゃうよ。」
「はぁ・・・・。」

という訳で、再び説得・・。
・・・・・・・。
「でね、1日目は10時頃出発してね。次の日は1日過ごして、もう次の日の3時頃には帰ってこれるから・・・。たった、3日、たった3日だよ。」
おじいさん、横に首を振ります。
「ショートステイは、介護される側のためにあるんじゃなくて、家族のためにあるんだよ。ちょっとだけ、我慢してやろうと言う気になれんかね。」
「・・・・。」やはり首を横に・・・。
「その間、ヘルパーさんも誰も来てくれないんだよ。たった3日間だから・・。」
「ほうか(そうか)、3日間か・・。3日ばかかぁ・・・。」
「そう、3日間、行ってくれるね。」(ケアマネさん少し笑顔になって・・。)
おじいさん、私の方を向いて言いました。
「たった、3日間なら、ヘルパーも誰も来んでも、○○ちゃん(私の名前)一人でも、俺の面倒看れるやらぁ・・。」
(えっ?何言ってんだ、こいつ!・・。以上、心の声でした。)

ケアマネさんと私は、一瞬目が点になりました。
「何とでも言うねぇ~。」とケアマネさん首を振りあきれ顔です。
そして、
「あなたも、何か言いなさい。よそのお嫁さんは、もっと凄いよっ!」と・・・。

急に振られて、何と言おうかと思い、口を出たのは、
「お父さん(おじいさん)、私にも休憩を下さい!」
すると・・・・。
「いややぁ~。」
と、返されました。

ケアマネさんと私は、呆然となり、もう後は何も言えなくなり・・・・・。
ケアマネさん曰く、女なんか、馬鹿にしてるから、言うこと聞く訳無いわね。と・・。
これは、男が説得に当たらないとだめだと言うことで、息子頼みになりました。

結果は、納得してくれるまではいかなかったけれど、嫌々ながら、ショートに行くことを了承してくれました。

2泊3日の休息・・・・。
実質1日だけなんですけどね。
凄く嬉しかった!!

でも、あの時の「いややぁ~。」は、忘れられない一言になりました。

おじいさんと義姉は良く似ています。

そう言えば、義母がいつも
「Y子ちゃん(義姉)とじいちゃんは、似とる。」と言ってましたね・・・。



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半熟味玉弁当

2013-04-08 10:08:06 | 晩ご飯
               

今日の娘のお弁当は、半熟味玉子がメインです。
玉子を半熟に茹でて麺つゆに漬けておいたものです。
ウィンナーソーセージと、人参サラダ、ブロッコリー・プチトマトサラダ菜・・・。
トロトロの黄身が美味しそう・・・。


昨日は、遅くまでお片づけに夢中・・・・。
娘は出かけたので、お父さんと二人、隣のおじいさんの家で黙々と作業を・・・。
出てくる。出てくる・・・・。
宝物・・・。

お父さんの従姉妹の結婚式の写真。(おじいさんの兄の娘さん)
義母と義父(おじいさん)、若い!

叔父さんに似ているこの人はだれ?
おじいさん・・・。
やだ、毛があるぅ~。

母が嫁いできた頃から、すっきりと禿げあがった頭だったのに・・・。
頭髪のあるおじいさんは不思議???

義母は、あの人そっくり!!

それから、義母のお裁縫ノート・・・・・。
和裁も出来たんだぁ~。

義母の高等女学校時代の友人が義母に書いて渡した?ノート・・。
きれいな絵が書いてあり、凄く達筆!!
今時の高校生とは大違いの、全く大人の字で、昔の人は偉い!!

ふちが茶色に変色したレシピ本・・・・・。
年代を感じさせます。
きっと、若い頃は、こんなの参考にお料理してたんだ・・・・。
義母は料理上手でしたから・・・。

「生きとりゃぁ、いるやろうけどなぁ~?」
「取っておいても・・・・。どうなのかなぁ・・・。」
二人で迷います。

家に帰ってきてから、
「ねぇ、あのノート捨てた?」
「捨てとらんよ。」
「良かった・・・・。」
「なんで??。」
「ひょっとしたらさ、もしかしたらさ、あの人も見てみたいかもしれんし・・・。」

甘いなぁ~。
などと思いますが、義姉にとっては母親の遺品です。
他人の私が見ても、ウルウルするのに、見たいだろうなぁ~。何て・・・。

今を楽しむことに必死で、回りなんて見たことも無いような義姉だけど・・・。

だから、捨ててしまうのは、忍びない・・・・。

遺産分割の問題で、今は義姉と接触しないように言われているけれど、
それが片づいて、一段落したら・・・・・・。
何時か、そういう気持ちが義姉に届くとしたら・・・・。

あれは、捨てずにとっておきましょうよ。
ねぇ、お父さん。


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思い出した事・・・・。

2013-04-07 11:29:45 | 日記
昨夜は、再び、税理士さん、会計士さん、ハウスメーカーさんがいらして、
遺産分割のお話・・・・。

その為に、色々な事を思い出さなければなりません。

忘れかかっていることも有ります。

気持ちの悪いことや色々、そろそろ抜け出せるかと思っていたのに・・・。
が、仕方ありません。

おじいさんの介護に何をどれだけ使ったか?
はっきり言って、あのねぇ・・・・。

オムツだって、尿といパッドだって、服だって、食材だって、
おじいさんの物だけ単独で買っていた訳ではないのです。

あの狂気のような介護の日々に、何かどうだったって言えと言われて・・・。

思い出さないといけないことが沢山あって・・・。

ふと、皮膚科を探して、お父さんと二人、市内を走り回った日のことを思い出しました。
あの頃は、まだ、義姉が暴挙に及ぶ前で、おじいさんは二人がかりで、
手を取る人、腰を支える人という感じで歩いていました。
長距離は歩けないので、病院等では、車いすを借りての受診でしたが・・・。
介護が始まってすぐ、足に褥瘡が出来て、ケアマネさんから、皮膚科に行くよう言われ、
義姉とは連絡が取れず、お父さんの帰りを待って連れて行くことに・・・・。
階段があるところは無理、車いすがあっても段差のある階段のある医院は無理・・。

私が先に車を降り、待合室の様子を見て、おじいさんが待っていられそうな所を探しました。
待合室に明かりがついていれば、診療中です。
明かりのついている皮膚科を探しながら、待合室を覗き・・・。
車いすの有無、階段などを、確かめながら、数軒回りました。

覗いてみては、またダメだったと・・・・。

最後に、娘が小さい頃行ったことのある皮膚科を思い出しましたが、
さて、その先生は、当時既に高齢だったような・・・・。
わらにもすがる思いで、行ってみると、きれいに建て替えられ、
先生は、多分息子さん・・・・・。
車いすは無かったけれど、段差のない入口で、
その前に車を止めて、おじいさんを中に入れることに・・。
手すりがあったので、つかまらせ、私が腰を支え、
お父さんが、駐車場に車を入れてくるのを待ちました。

それに気づいた看護師さんが、優しく、おじいさんの手を引いて、
椅子まで一緒に連れて行ってくれました。
まだ、骨折の痛みがあった頃だったので、座っているのが辛そうな様子を見て、
空いている診察室のベッドで、横になって待たせてもくれ・・・。

皆さん優しくて、帰る時も、お父さんが車を取って来る間、移動を手伝ってくれて・・。
その優しさが嬉しくて、思い出すと涙が出そうに(出ます。)なります。

その後、義姉に報告しましたが、今度は自分一人で連れて行くと息巻いて、
やはり、怒りだしました。
「私だって、出来る!!」とか・・・。
よく、意味が分からない・・・・。

数回、その皮膚科には、通いました。
若先生は、「あまり何度も通うのは大変だからね。」と、おっしゃり、
後は、薬を塗れば良くなると、通院も、3回程だったでしょうか・・・・。
先生が優しいから、看護師さん達も優しいのでしょうかね。

結局、何だかんだという割に義姉は、一度も行きませんでしが・・・。

色々、思い出したくないことも思いだしましたが、
介護時代、沢山の優しさにも出会ったような気がします。

辛い介護時代だったから、余計に人の優しさが嬉しくて、泣けたんでしょうかね。



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